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安田善五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安田 善五郎(やすだ ぜんごろう、1886年明治19年〉6月26日 - 1963年昭和38年〉1月10日[1])は、日本実業家安田銀行頭取、京浜電気鉄道社長、安田生命保険社長、大垣共立銀行頭取、四国銀行頭取、肥後銀行頭取等を歴任した。三女・智恵子の夫は根津嘉一郎 (2代目)、四女・松江の夫は萩谷朴

人物・経歴

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安田善次郎の三男(善次郎49歳のときの子)。幼名は三郎彦[2]。福島県立安積中学校(現福島県立安積高等学校)17期出身。後年、安積中学校から東京に進学した学生のため、父善次郎の言葉「積善の家に必ず余慶あり」からとった積善寮を牛込に開設し、学費の援助も行った[3]。1919年安田銀行頭取に就任[4]

1921年京浜電気鉄道社長[5]。同年に安田善次郎が死去すると、辞任した安田善四郎安田善衛安田善助の後を受け、安田善雄安田善兵衛とともに保善社の理事に就任。温和な兄2代目安田善次郎と対照的に攻撃的な性格で、安田同族の中で大きな発言力を持ち、結城豊太郎専務理事(のちに解任)と対立した[6][7]

1923年の関東大震災時には、弟の安田善雄一家とともに住んでいた本所区本所横網(現墨田区横網)の安田家本邸で火災に遭い、一時は死を覚悟したが、たまたま見つけた船で難を逃れた[8]。1926年安田生命保険社長[9]。1935年大垣共立銀行頭取[10]四国銀行頭取[11]。1936年安田信託社長[12]帝国製麻社長[13]。同年からは安田一保善社総長の後見役も務めた[7]

1938年肥後銀行頭取[14]。1942年尼崎築港取締役[15]太平洋戦争が始まると、1942年に安田保善社に常勤理事制を新設し、安田楠雄安田彦次郎を常勤理事に就任させ、また自身も森広蔵とともに顧問に就任した[7]

戦後、安田信託社長のため、公職追放となる[16]。1951年追放解除[17]

著書

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  • 『自白の記』安田善五郎 1951年

脚注

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  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1270頁。
  2. ^ 安田善五郞 (男性)日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  3. ^ 「東京桑野会会報」東京桑野会
  4. ^ (株)安田銀行『安田銀行六十年誌』(1940.09)渋沢社史データベース
  5. ^ 京浜急行電鉄(株)『京浜急行百年史』(1999.03)渋沢社史データベース
  6. ^ 小早川洋一「安田善次郎死後の安田財閥の再編成 - 結城・森改革の過程と意義について -」『経営情報学部論集』第1巻第1号、中部大学経営情報学部、1985年1月、27-42頁、ISSN 0910-8874CRID 1050845763477988992 
  7. ^ a b c 宇田川勝「財閥の改革者 ―結城豊太郎と池田成彬― (日本の企業家活動シリーズ No.40)」法政大学
  8. ^ 「安田善雄氏の最後」,新生社編『震災叢書. 第3編 (震災惨話)』新生社、大正12(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「安田生命保険(相)『安田生命123年史』(2003.09)」渋沢社史データベース
  10. ^ 「(株)大垣共立銀行『地域とともに歩んで : 大垣共立銀行九十年史』(1986.03)」渋沢社史データベース
  11. ^ (株)四国銀行『四国銀行百年史』(1980.07)渋沢社史データベース
  12. ^ 「安田信託銀行(株)『安田信託銀行四十年史』(1965.12)」渋沢社史データベース
  13. ^ 帝国製麻(株)『帝国製麻株式会社三十年史』(1937.10)渋沢社史データベース
  14. ^ 株)肥後銀行『肥後銀行史』(1960.11)渋沢社史データベース
  15. ^ 尼崎築港(株)『尼崎築港70年史』(1999.03)渋沢社史データベース
  16. ^ 『朝日年鑑』1948年版、177頁。
  17. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊2面。
先代
安田善次郎
安田銀行頭取
1919年 - 1923年
次代
保善銀行に合併
先代
安田善三郎
京浜電気鉄道社長
1921年 - 1923年
次代
青木正太郎
先代
安田善四郎
安田生命保険社長
1926年 - 1930年
次代
四条隆英
先代
安田善兵衛
大垣共立銀行頭取(のちの社長)
1935年 - 1942年
次代
宮崎繁三郎
先代
安田善兵衛
四国銀行頭取(のちの社長)
1935年 - 1942年
次代
山本豊吉
先代
安田善四郎
肥後銀行頭取(のちの社長)
1938年 - 1942年
次代
片桐靖
先代
安田善次郎
安田信託社長
1936年 - 1942年
次代
石毛竹治郎