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安子島城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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安子島城
福島県
安子島城址
安子島城址
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 安子島氏(安積伊東氏)
築城年 鎌倉時代[1]
主な城主 安子島氏(安積伊東氏)
廃城年 1589年天正17年)
遺構 本丸・東出丸・空堀[2]
指定文化財 史跡等未指定[3]
埋蔵文化財
包蔵地番号
郡山市No.20360050[2]
位置 北緯37度28分25秒 東経140度18分22秒 / 北緯37.47361度 東経140.30611度 / 37.47361; 140.30611座標: 北緯37度28分25秒 東経140度18分22秒 / 北緯37.47361度 東経140.30611度 / 37.47361; 140.30611
地図
安子島城の位置(福島県内)
安子島城
安子島城
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安子島城(あこがしまじょう)、または安子ヶ島城は、福島県郡山市熱海町安子島字南町にあった日本の城平山城)。現在は建物はなく城跡のみ残る。

概説

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安子島城は、鎌倉時代から戦国時代まで陸奥国安積郡に栄えた国人領主 安積伊東氏庶流 安子島氏の居城として築城され、同氏が代々、城主を務めた。室町時代には、鎌倉公方 足利満兼より派遣された篠川御所 足利満直に従い室町幕府方京都扶持衆 伊達氏らの勢力と対峙した安子島祐義など鎌倉府方ともなった。戦国時代に安子島氏が奥州管領 二本松氏に随身し、安子島右衛門大夫の代までその傘下にあったが、二本松義継伊達政宗に討たれると、会津の有力国人 黒川城主 蘆名義広に随身した。しかし、伊達政宗が蘆名氏打倒に乗り出し、安積郡の諸勢力ことごとく伊達方に寝返る中、安子島城を預かる安子島祐高ただ一人が義を重んじ、蘆名方についた。しかし、衆寡敵せず、伊達勢の圧倒的な兵力の前に安子島勢は戦わずして降伏し、1589年天正17年)城兵の助命と引き換えに開城、安子島一族が同城から逃れ、安子島城も廃城となった[4]

現在

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磐越西線安子ケ島駅近くの会津若松駅寄りの線路北側の道路脇に城跡の碑が建てられており、かつては付近に堀も残っていたが、現在は埋没し、地形にその痕跡を残すのみである。

1992年(平成4年)から翌年にかけて発掘調査が行われ、堀や建物跡等の遺構や中世の遺物が出土した[5]

脚注

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  1. ^ 垣内和孝『郡山の城館』歴史春秋社、2015年、16頁。ISBN 978-4-89757-848-4 
  2. ^ a b 「郡山市地理情報システム(埋蔵文化財包蔵地マップ)」郡山市公式HP
  3. ^ 「郡山市の文化財」郡山市公式HP
  4. ^ 太田亮編『姓氏家系大辞典第1巻』(角川書店1963年) 63頁、宮城県姓氏家系大辞典編纂委員会編『宮城県姓氏家系大辞典』(角川書店、1996年) 440頁参照。
  5. ^ 財団法人郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団 1993

参照文献

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  • 太田亮編『姓氏家系大辞典第1巻』(角川書店、1963年) 63頁参照。
  • 宮城県姓氏家系大辞典編纂委員会編『宮城県姓氏家系大辞典』(角川書店、1996年) 440頁参照。
  • 垣内和孝『郡山の城館』(歴史春秋社、2015年) 16頁参照。
  • 財団法人郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団 1993『安子島城跡』郡山市教育委員会

関連項目

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