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守山陣屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

守山陣屋(もりやまじんや)は、陸奥国南部(磐城国田村郡福島県郡山市田村町)にあった守山藩の藩庁とされた陣屋

概要

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現在のJR水郡線磐城守山駅付近、福島県道182号磐城守山停車場線福島県道54号須賀川三春線の交差点の北西寄りに存在した(戦国大名田村氏の拠点であった守山城よりも西側にある)。

城ではなく陣屋であるが、明治6年(1873年)に製作された絵図によると敷地の西側や北側、南側の一部は土塁によって区画され、城に準じた造りになっていた[1]

現在は住宅地となり、建物等は残っていないが、道路沿いには当時の雰囲気を伝える松の木が数本、植えられている。

歴史

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元禄13年(1700年水戸藩支藩額田藩第2代藩主松平頼貞江戸幕府第5代将軍徳川綱吉より守山2万石を与えられ、守山藩となる。その際に藩庁が置かれた。ただし、歴代藩主は江戸小石川の藩邸に定住していた。

明治2年(1869年)、版籍奉還で最後の藩主松平頼升は守山藩知事となる。その後を継いだ松平頼之が明治3年(1870年)に藩庁を常陸松川に移して役目を終えた。

明治6年(1873年)に出された全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(城郭取壊令)で廃城とされた。

脚注

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  1. ^ 垣内和孝『郡山の城館』歴史春秋社、2015年、81頁。ISBN 978-4-89757-848-4 

参考文献

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  • 垣内和孝『郡山の城館』歴史春秋社、2015年

関連項目

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