守屋徳夫
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守屋 徳夫(明治21年(1888年)1月 - 没年不明)は、日本の実業家。樺太水産(株)社長[1]。樺太魚菜配給(株)取締[1]。樺太水産物統制販売組合監事[1]。
元衆議院議員、元宮城県塩竈市長守屋栄夫の弟。外交官守屋和郎の兄。元防衛事務次官守屋武昌の叔父。
経歴
[編集]宮城県遠田郡富永村(のち古川市、現大崎市)出身。守屋徳郎の二男[1]。守屋栄夫の弟[1]。守屋和郎の兄[1]。
大正7年(1918年)京都帝大社会科を卒業[1]。台湾総督府視学[1]。旭紡秘書課長[1]。朝鮮殖銀勤務[1]。東拓資金課長[1]。日魯漁業常任監査役[1]
人物像
[編集]趣味は打球、文学[1]。宗教は曹洞宗[1]。住所は東京市小石川区林町[1]。
家族・親族
[編集]守屋家
[編集]- 妻・よう(宮城県、菊地辧蔵二女[1])
- 男[1]
著書
[編集]- 『倫敦より紐育へ』(帝国地方行政学会朝鮮本部、1930.5)[2]