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宇賀 四郎(うが しろう、1881年(明治14年)5月25日[1] - 1946年(昭和21年)7月10日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。大蔵官僚。
千葉県出身。1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した[3]。大蔵省専売局で主事、副参事、参事、事業部塩脳課長を歴任した[3]。1924年(大正13年)、台湾総督府専売局長に転じ、1928年(昭和3年)に退官した[3]。1931年(昭和6年)には台北州知事に起用された[4]。その後、台湾電力株式会社理事に就任した[4]。
1937年(昭和12年)、第20回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
- ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年(昭和12年)、11頁。
- ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
- ^ a b c 『大衆人事録』
- ^ a b 『帝国大学出身名鑑』
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
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五州三庁時代 |
- 相賀照郷1920.9.1-1921.9.17
- 高田富蔵1921.9.17-1924.12.23
- 吉岡荒造1924.12.23-1927.7.27
- 三浦碌郎1927.7.27-1928.7.21
- 高橋親吉1928.7.21-1929.4.20
- 片山三郎1929.4.20-1931.5.8
- 宇賀四郎1931.5.8-1931.9.12
- 平山泰1931.9.12-1932.3.15
- 中瀬拙夫1932.3.15-1933.8.4
- 野口敏治1933.8.4-1936.2.26
- 今川淵1936.2.26-1936.10.16
- 藤田傊治郎1936.10.16-1939.1.28
- 戸水昇1939.1.28-1939.12.28
- 川村直岡1939.12.28-1941.5.14
- 三輪幸助1941.5.14-1942.7.3
- 梁井淳二1942.7.3-1943.11.13
- 坂口主税1943.11.13-1944.3.20
- 西村高兄1944.3.20-1945.5.23
- 高橋衛1945.5.23-1945.10.25
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