宇佐美春三郎
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宇佐美春三郎 うさみ しゅんざぶろう | |
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生年月日 | 1845年 |
出生地 |
日本 豊後国速見郡 (現大分県速見郡日出町) |
没年月日 | 1894年2月22日 |
所属政党 | 自由党 |
親族 | 孫・宇佐美健吉(日出町長) |
選挙区 | 大分県第4選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1890年 - 1891年12月25日 |
第2−4・7代 大分県会副議長 | |
在任期間 |
1880年10月 - 1886年1月15日 1890年3月6日 - 1891年9月10日 |
宇佐美 春三郎(うさみ しゅんざぶろう[1]、1845年(弘化元年12月[1]) - 1894年(明治27年)2月22日[1])は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]豊後国速見郡、のちの日出町で[2]、酒造業・老舗「南郡屋」に生まれる[3]。米良東嶠の門に入り漢学を修めたのち洋学にも傾倒した[2]。1876年(明治9年)大分県会議員に当選し、以来副議長[4]、常置委員、地方衛生会委員、県徴兵参事会員、商法会議所頭取を歴任した[5]。ほか、金融業・朝陽社を興し社長に任じ、貧民救助財団恵愛社管理者を務めた[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では大分県第4区から出馬し当選[1]。衆議院議員を1期務めた[1]。弥生倶楽部に属した[1]。
親族
[編集]- 孫 宇佐美健吉(日出町長、実業家)[3]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。