姫路市道十二所前線
姫路市道十二所前線(ひめじしどうじゅうにしょまえせん)は、兵庫県姫路市にある道路。市内の都市計画道路のうち、姫路市道幹第8号線[1][2]および姫路市道幹第78号線[3]の総称。一部区間は兵庫県道219号姫路停車場線と重複している(後述)。通称は十二所線、十二所前通り。
概要
[編集]道路名は中心市街地西部の十二所前町にあり、播州皿屋敷の伝承で知られる十二所神社に因む。
中心市街地の商業地域及び近隣商業地域を東西に貫通している。沿道には姫路警察署、兵庫県立はりま姫路総合医療センター(はり姫)、姫路市文化コンベンションセンター(アクリエ姫路)、ホテル、商業施設等が建ち並び、大手前通りと合わせて姫路市中心部を代表する道路でもある。
市道幹第8号線と市道幹第78号線は、巽橋交差点の東側で分断された形で接続されず未整備の状態が長らく続いたが、2016年(平成28年)6月27日に開通した[4]。
市道幹第8号線は、姫路市街地の主要道一方通行規制により、国道2号の西今宿3丁目にある今宿交差点(始点) - 姫路商工会議所前(規制当初は日ノ本学園前[5])にある下寺町交差点(終点)東行き一方通行区間に対する西行き一方通行車線としての機能を持つ道路である。この一方通行の交通規制は、姫路市街地での国道2号線の交通渋滞対策として1970年(昭和45年)2月1日から実施され[5][6]、2023年(令和5年)現在も継続されている。
都市計画段階では幅員27メートルだったが、1949年(昭和24年)にGHQが戦災復興都市計画の縮小を指示し、同年6月に「戦災復興都市計画の再検討に関する碁本方針」が閣議決定され[7]、全国の戦災都市全ての復興計画が再検討された結果、幅員20メートルに縮小された。しかしすでに換地を発表し、それに基づいて家屋も建設されていたことから、結局大手前通りより東は南側を、西は北側をそれぞれ7メートル削り、東西で中心線が7メートル食い違うことになった[8]。十二所前線(幹線道路建設)に伴い、立ち退き移転した戸数は175戸となっている[9]。
兵庫県警の委託によって行われる駐車監視員の巡回において、この路線の東駅前町交差点 - 土山交差点の区間は最重点路線として指定されている[10]。
道路概要
[編集]- 幹線街路 3.4.114 十二所前線[11]
- 起点:姫路市宮西町4丁目(兵庫県道516号姫路環状線交点)
- 終点:姫路市西今宿3丁目(今宿交差点)
- 主な経過地:姫路市十二所前町
- 延長:約4,410m
- 幅員:20m
沿革
[編集]姫路市付近の国道2号は播磨臨海工業地帯の拡張とモータリゼーションの進展によって、1963年の2万台/日から1968年には5万台/日に交通量が激増していた。この解消のために姫路バイパスが検討されたが、その整備には時間が掛かると見込まれたため(姫路バイパス全線開通は1975年)、国道2号の姫路市内区間を一方通行にして対処することとなった[5]。
- 1946年(昭和21年)8月:姬路復興都市計画街路決定(昭和21年8月14日戦災復興院告示第69号)[12]で、I.3.1号十二所前線として都市計画決定(起点:北条口、終点:土山、主なる経過地:十二所前町、幅員:27m)[13]。
- 1950年(昭和25年)7月:姬路復興都市計画街路変更(昭和25年7月18日建設省告示第823号)[14]で、II.1.11号十二所前線として都市計画変更(幅員を20mに縮小)[15]。
- 第二次世界大戦後 : 戦災復興土地区画整理事業として北条口 - 船場幼稚園間を整備[16]。
- 1960年(昭和35年)度 : 都市計画街路十二所前線(東雲一丁目 - 今宿間)の建設に着手[16]。
- 1968年(昭和43年)4月 : 都市計画街路十二所前線(東雲一丁目 - 今宿間)が暫定開通[16]。
- 1970年(昭和45年)2月 : 市道十二所前線が西行き専用一方通行となる[6][17]。
- 1980年代 - 1990年代にかけて、朝日橋北詰(現・北条口3) - 車崎南の共同溝設置・電柱地中化工事を実施。
- 1981年(昭和56年)3月 : 姫路市制90周年記念事業で、朝日橋北詰(北条口)及び今宿交差点に道標を設置。
- 1987年(昭和62年)2月:中播都市計画事業姫路駅周辺土地区画整理事業で、十二所前線(市道幹第78号線:延長763m、幅員20m)を都市計画決定[18]。
- 2016年(平成28年)6月:市道幹第8号線と市道幹第78号線が接続[4]。
規格
[編集]車線数は、姫路警察署前 - 巽橋が2、北条口3(旧:朝日橋北詰) - 船場児童公園前(花影町二丁目)が3、船場児童公園前 - 今宿交差点が4である。歩道の道幅・路側帯の有無等、区間によって規格に大きな差異がある。十二所前線は姫路市宮西町4丁目(兵庫県道516号姫路環状線交点)が起点だが[19]、巽橋 - 北条口3の区間は、下寺町 - 巽橋の区間(旧市道下寺町線[5])と併せて県道(兵庫県道219号姫路停車場線)に指定され、姫路市の認定道路から外れている[19]。なお、県道区間の車線数は、下寺町 - 巽橋が2、巽橋 - 北条口3が4である。
参考
[編集]下寺町交差点以東及び今宿交差点以西は、中央分離帯が整備された両方向通行の国道2号に接続する。
- 下寺町交差点 - 幸町東交差点は片側2車線、幸町東交差点以東は対面通行道路となる。
- 今宿交差点で国道2号の西向きに合流する2車線と、東向きに合流する2車線に分岐する。今宿交差点 - 夢前橋西詰では、渋滞緩和等を目的とした4車線拡幅工事(国道2号道路改築事業・姫路西拡幅:全体延長2,120m)が行われ、1998年(平成10年)6月に夢前橋を含む約0.2kmを暫定供用、2005年(平成17年)4月に夢前橋西詰 - 下手野東交差点間の約1.0kmを4車線で供用し[20][21]、2011年(平成23年)に全線が4車線で供用されている。
ギャラリー
[編集]-
北条口3交差点(北西)にある十二所前線の道標(2015年5月)
-
今宿交差点(歩道脇)にある十二所前線の道標(2015年5月)
脚注
[編集]- ^ 姫路の歩行者・自転車の安全・快適化計画書 - ウェイバックマシン(2016年8月17日アーカイブ分)、姫路市、2013年2月、15頁
- ^ 検定合格警備員の配置が必要な路線、兵庫県警察
- ^ 姫路市中心市街地活性化基本計画(第3期計画)、姫路市、2021年8月、75-76頁
- ^ a b 都市計画道路 十二所前線・下寺町線の開通について - ウェイバックマシン(2016年7月19日アーカイブ分)、姫路市、姫路駅周辺整備室
- ^ a b c d 姫路市史第6巻 2016, p. 668-669.
- ^ a b 『広報ひめじ』昭和45年1月 No.428号、姫路市役所(広報ひめじデジタルアーカイブ)、1970年1月15日発行、3頁
- ^ 戦災復興都市計画の再検討に関する基本方針(昭和24年6月24日 閣議決定)、国立国会図書館リサーチ・ナビ
- ^ 聞き書き・姫路の戦後史 1995, pp. 216–217.
- ^ 聞き書き・姫路の戦後史 1995, p. 218.
- ^ “姫路警察署駐車監視員活動ガイドライン”. 兵庫県姫路警察署. 2018年12月6日閲覧。
- ^ “都市計画決定(変更)告示(3.4.27号下寺町線ほか15路線)(平成29年12月26日告示)”. 姫路市 (2022年12月16日). 2024年10月2日閲覧。
- ^ 「姬路復興都市計畫街路決定」『官報』第5875号、1946年8月14日、89頁、doi:10.11501/2962387。
- ^ 戦災復興誌第9巻 1960, pp. 240–242.
- ^ 「姬路復興都市計画街路変更」『官報』第7054号、1950年7月18日、266頁、doi:10.11501/2963600。
- ^ 戦災復興誌第9巻 1960, p. 242.
- ^ a b c 『広報ひめじ』昭和43年5月 No.397号、姫路市役所(広報ひめじデジタルアーカイブ)、1968年5月15日発行、1頁
- ^ 「ザ・姫路ターミナル~玄関口余話(4)止まらずに走れるって本当?」『神戸新聞NEXT』神戸新聞社、2022年1月5日。
- ^ “姫路駅周辺土地区画整理事業の概要”. 姫路市 (2024年7月10日). 2024年10月2日閲覧。
- ^ a b 姫路市Webマップ、認定道路情報、姫路市
- ^ 国道2号道路改築事業 姫路西拡幅、兵庫県
- ^ 再評価結果(平成18年度事業継続箇所)国道2号道路改築事業・姫路西拡幅、国土交通省
参考文献
[編集]- 建設省 編『戦災復興誌』 第9巻(都市編 VI)、財団法人都市計画協会、1960年11月1日。doi:10.11501/3035567。
- 姫路戦後地図をつくる会 編『聞き書き・姫路の戦後史―焼け野原にともった灯』ひめしん文化会〈姫路文庫〉、1995年8月1日、216-217頁。ISBN 4-87521-094-9。
- 姫路市史編集専門委員会 編『姫路市史』 第6巻(本編 近現代3)、姫路市、2016年3月30日。全国書誌番号:22736610。