姉帯城
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姉帯城 (岩手県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 姉帯氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 姉帯大学兼興・戸田帯力・野田氏 |
廃城年 | 1592年(天正20年) |
遺構 | 曲輪、堀、土塁 |
指定文化財 | 一戸町指定史跡 |
位置 | 北緯40度10分31.6秒 東経141度19分19.9秒 / 北緯40.175444度 東経141.322194度座標: 北緯40度10分31.6秒 東経141度19分19.9秒 / 北緯40.175444度 東経141.322194度 |
地図 |
姉帯城(あねたいじょう)は、岩手県二戸郡一戸町姉帯字館にあった日本の城。一戸町指定史跡[1]。
沿革
[編集]馬淵川右岸の尾根上にあり、東西120メートル、南北100メートル、馬淵川に面する南側は50mを超える断崖で、西は谷地、東北の尾根に空堀をめぐらす。 ふもとには門前、馬場などの地名を残す。
戦国武将・姉帯氏の本拠地。築城時期は不明。九戸連康の子兼実が、陸奥国糠部郡姉帯村を領し、郷村の在名を氏とした。
天正19年(1591年)の九戸政実の乱において、九戸軍の最前線の城として、姉帯大学と戸田帯力が中心となって230人の将兵が仕置軍と対戦したが、大軍の前には抵抗できず8月24日遂に落城し、9月4日には本拠の九戸城が落城した。
天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には「姉帯 山城 破 野田 甚五郎 持分」とあり、破却された。
構成
[編集]城は大きく分けて2つの郭から構成されている。 東ノ郭は120×100m、西ノ郭は130×60m。 両郭の間は空堀で隔てられている。空堀の深さ・幅ともに20mと伝わる。 西ノ郭側には幅2〜3m、高さ3.5mの土塁が伴っている。 東ノ郭の東端には二重堀切がある。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4-040-01030-2。
- (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X。
- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日、326-238頁。