妙楽寺 (川崎市)
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妙楽寺 | |
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妙楽寺 | |
所在地 | 神奈川県川崎市多摩区長尾3-9-3 |
位置 | 北緯35度36分30.5秒 東経139度34分38.5秒 / 北緯35.608472度 東経139.577361度 |
山号 | 長尾山[1] |
宗派 | 天台宗[1] |
本尊 | 阿弥陀如来[1] |
創建年 | 伝・851年(仁寿元年) |
開基 | 伝・円仁 |
正式名 | 長尾山薬王院妙楽寺 |
別称 | あじさい寺 |
法人番号 | 3020005007473 |
妙楽寺(みょうらくじ)は、神奈川県川崎市多摩区にある、天台宗の寺院。山号は長尾山。通称あじさい寺。大晦日、元日には多くの人が参拝に訪れる。
概要
[編集]妙楽寺は、長尾寺とも威光寺ともいわれ、源家累代の祈祷所とする長尾山威光寺であった[2]。851年(仁寿元年)天台宗の円仁が威光寺を建立したという。1977年(昭和52年)、本間紀男[注釈 1]によって薬師三尊の解体修理が行われ、日光菩薩像の胎内から「武州立花郡太田郷長尾山威光寺」の墨書銘が発見された[4]。
中世の名残を伝える地名(別所、堀の内、竹の沢ほか)の他、五輪塔や板碑が保存され、また歴史的な遺物として出土した大形甕のかけらは渥美製とされる。
近年、1000株のアジサイが植えられて「あじさい寺」として親しまれており、毎年6月の第3日曜日には「長尾の里 あじさいまつり」が開催されている[5]。
歴史
[編集]- 851年(仁寿元年)- 円仁が威光寺を建立する。
- 1180年(治承4年)- 源頼朝が長尾寺を阿野全成に与える[6]。
- 1208年(承元2年)- 狛江入道増西による寺領の苅田狼藉事件を鎌倉幕府に訴え出る[7]。
- 1405年(応永12年)- 梵鐘を鋳造する。
- 1509年(永正6年)- 薬師如来像を造立する。
- 1547年(天文16年)- 日光菩薩像を造立する。
- 江戸時代の文化・文政期 『新編武蔵風土記稿』の長尾村の頁に、『東鑑』に登場する威光寺との関連について考察が記録される[1]。
- 江戸時代の天保年間 『江戸名所図会』に名所として描かれる[8]。
- 2009年(平成21年) 薬師堂を建立する[要出典]。
文化財
[編集]交通アクセス
[編集]- あじさい寺バス停下車、徒歩約1分。
- あじさい号: 久地駅 - 長尾 - あじさい寺 - 登戸駅
- あじさい寺バス停下車、徒歩約1分。
- 川崎市バス、久地駅 - 長尾 - 藤子・F・不二雄ミュージアム - 向ヶ丘遊園駅南口行
- 東急バス、久地駅 - 長尾 - 藤子・F・不二雄ミュージアム - 向ヶ丘遊園駅南口行
- 長尾バス停下車、徒歩10分。
- 川崎市バス、向ヶ丘遊園駅南口 - 藤子・F・不二雄ミュージアム - 長尾橋 - 長尾 - 久地駅 - 第三京浜入口行・井田営業所前行
- 東急バス、向ヶ丘遊園駅南口 - 藤子・F・不二雄ミュージアム - 長尾橋 - 長尾- 久地駅 - 二子玉川駅行
- 長尾バス停下車、徒歩10分。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 「卷之六十一 橘樹郡之四 稲毛領長尾村」『新編武蔵風土記稿』3、〈大日本地誌大系. 第7巻〉、NDLJP:1214845/78、145頁。
- ^ “吾妻鏡 巻一 治承4年11月15日”. 国立国会図書館. 2022年7月17日閲覧。
- ^ “本間紀男 経歴”. 仏教造形研究所. 2022年8月10日閲覧。
- ^ 川崎市教育委員会 (2017年6月2日). “妙楽寺”. www.city.kawasaki.jp. 生涯学習・文化財 > かわさきの文化財 > 市内文化財案内 > 文化財さんぽ > 多摩区. 川崎市. 2022年6月12日閲覧。 “コンテンツ番号92”
- ^ “長尾の里 あじさいまつり”. 多摩川散歩. 2015年3月5日閲覧。
- ^ “吾妻鏡 巻一 治承4年11月19日”. 国立国会図書館. 2022年7月17日閲覧。
- ^ “狛江入道の碑”. 調布市. 2022年7月17日閲覧。
- ^ 斎藤幸雄ほか「妙楽寺七面山」「稲毛薬師堂」『江戸名所図会』有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年(昭和2年)、NDLJP:1174144/124、238-242頁。詞書は次のとおり。「第二 赤坂御門に始まり、赤坂の一部及び靑山を經、大山街道に沿へる澁谷、世田ヶ谷、北見、の諸村を記して多摩河、丸子渡に終る。」
- ^ “指定文化財紹介 木造 薬師如来両脇侍像(妙楽寺)”. 川崎市 (2017年6月2日). 2022年6月12日閲覧。 “コンテンツ番号542。3軀、室町時代〔永正6年(1509)〕。像高:(薬師)48.0cm、(日光)65.5cm、(月光)65.5cm。1968年(昭和43年)2月10日、市重要歴史記念物指定。”
- ^ “指定文化財紹介 紙本着色 五趣生死輪図”. 川崎市 (2010年8月13日). 2022年6月12日閲覧。 “コンテンツ番号472。縦294.7cm、横173.2cm。1996年(平成8年)1月25日、市重要歴史記念物指定。”