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妙昌寺 (東松山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
妙昌寺みょうしょうじ
所在地 埼玉県東松山市大字神戸1121
山号 青鳥山
宗旨 日蓮宗
寺格 素紫寺跡
本尊 十界曼荼羅
創建年 1281年弘安4年)
開山 妙昌院日仙
開基 藤原利行(妙照院前郡司大夫入道斎心居士)[1]
中興 陽林院日通
文化財 日蓮供養板石塔婆・日蓮上人祖師像・瓦塔・板石塔婆
公式サイト いのちの共同体 神戸 妙昌寺
法人番号 4030005011507 ウィキデータを編集
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妙昌寺(みょうしょうじ)は、埼玉県東松山市大字神戸にある日蓮宗寺院。山号は青鳥山。旧本山は真間弘法寺[2] 池上芳師法縁に属する。[3]

歴史

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寺伝によれば、1271年(文永8年)に日蓮が佐渡流罪の際に青鳥城に立ち寄ったとされ、その後1281年弘安4年)に青鳥城主・藤原利行(妙照院前郡司大夫入道斎心居士)が妙昌院日仙を開山に迎えて一寺を創建し妙昌寺と名付けたとされている。創建時は青鳥城近郊にあったが、戦国時代に兵乱を避ける為に現在地に移転された。1894年明治27年)に火災の為に焼失したが漸次再興され、1961年昭和44年)10月には39世・円中院日典によって現本堂が、1999年平成11年)5月30日には41世・覺修院日暢(八代大明)によって尊神堂が、2009年平成21年)には現住職である42世・顯敎院日祇(村井惇匡)によって法徳日也尊社が、それぞれ再建・整備され現在の威容が整えられた。

伽藍・境内

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本堂

1961年昭和44年)10月に39世・円中院日典によって再建されたもの。

祖師堂

1271年(文永8年)日蓮の佐渡流罪の際に、師弟別離を惜しんだ直弟子の日法によって彫刻されたと伝えられる祖師像が安置されている。像高68.5cmの檜材寄木造りで、紫衣に袈裟を纏い左手首に数珠を掛け両手で経巻を持っている。

尊神堂

昭和初期に間口2間・奥行3間で建立されたが、立教開宗750年を記念して1999年平成11年)5月30日に40世・覺修院日暢(八代大明)によって再建された。4間四面の総木造で、鬼子母神が安置されている。この像はかつて千葉県市川市行徳に安置されていたものを、当時の総代であった稲村市五郎・関口松五郎・新井いねが交代で背負い唱題行脚をしながら遷座したものである。毎年4月に春季大祭が開催される。

法徳日也尊社

2009年平成21年)に、『立正安国論』奏進750年を記念して42世・顯敎院日祇(村井惇匡)によって鳥居が建立された。稲荷神が祀られている。

日蓮供養板石塔婆

1346年貞和2年)10月13日の日蓮の六十五回忌に際し、当時の住持であった日願が26人の結衆と共に建立した供養碑(高さ160cm・幅40cm)で、埼玉県指定文化財に登録されている。この他に、東松山市の指定文化財である「妙昌寺板石塔婆」十数基や「瓦塔」がある。

文化財

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埼玉県指定文化財
  • 日蓮供養板石塔婆(考古資料)
東松山市指定文化財
  • 日蓮上人祖師像(彫刻)
  • 瓦塔(考古資料)
  • 妙昌寺板石塔婆(考古資料)

歴代住持

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歴代 法号
(俗姓・道号)
命日(享年[数え年]) 経歴
開山 妙昌院日仙 元徳2年(1330年)10月22日
日願
中興開山 陽林院日通 天和2年(1682年)12月8日
20世 通真院日正 宝永2年(1705年)5月19日
21世 長善院日勤 延享元年(1744年)5月17日
22世 一樹院日東 宝永3年(1706年)5月15日
23世か 法悟院日妙 元文2年(1737年)7月19日
24世 宣如院日暁 安永7年(1778年)12月14日
27世 常運院日祇[4]
(辨隆)
文化3年(1806年)8月13日(71歳) 本山 真間山弘法寺(千葉県市川市真間) 37世
飯高檀林 妙雲山飯高寺(千葉県匝瑳市飯高) 196世能化
慈雲山常栄寺(神奈川県鎌倉市大町) 18世
28世 本沾院日随 嘉永4年(1851年)8月29日
29世か 日相
30世 常智院日能
(辨誓)
安政5年(1858年)10月21日 惺興山妙勧寺(千葉県夷隅郡大多喜町) 35世
妙珍山蓮昌寺(神奈川県小田原市本町) 43世
31世 妙進院日忠
(辨行)
明治23年(1890年)4月16日 笛倉山浄圓寺(千葉県夷隅郡大多喜町) 38世
32世 日静
(鈴木日静)
34世 竜門院日登[5]
35世 厚心院日恵
(神部宣忠)
大正14年(1925年)7月7日(54歳) 東耀山圓大院(神奈川県横浜市中区) 4世
方運山青柳寺(神奈川県相模原市南区) 22世
36世 感化院日澄
37世 全中院日治
(奥野瑞韶)
大正12年(1923年)5月1日
38世 慈照院日昶 昭和34年(1959年)7月17日
39世 円中院日典 昭和45年(1970年)4月8日(66歳) 法蓮山光照寺(埼玉県比企郡嵐山町) 20世
40世 覺真院日由
(青山大成)
41世 覺修院日暢
(八代大明)
平成17年(2005年)10月17日 法蓮山光照寺(埼玉県比企郡嵐山町) 21世
42世 顯敎院日祇
(村井惇匡)
法務省 人権擁護委員保護司
川越少年刑務所 教誨師

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 建武元年(1334年)7月8日 没
  2. ^ 弘法寺及び大本山中山法華経寺の寺紋である「土岐桔梗紋」は、原則として直末寺院であってもその使用が認められていない。しかし妙昌寺は土岐桔梗紋が寺紋に定められており、極めて稀なケースとなっている。
  3. ^ 歴代住持の内、27・30・31世が池上中道不二庵法類の中延法縁である事から、この間は中延法縁に属していたと推察される。
  4. ^ 常栄寺在山中は“常雲院”と号した。
  5. ^ 弘法山三澤寺32世の竜門院日登(瑳珴惠觀)と同一人物であれば、命日は大正13年(1924年)12月5日で行年は67歳である。

参考文献

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  • 「神戸村 妙昌寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ191比企郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764006/35 
  • 『日蓮宗大観』/西村慈珖 編/日蓮宗大観刊行会/大正7年(1918年)
  • 宗祖第七百遠忌記念出版『日蓮宗寺院大鑑』/日蓮宗寺院大鑑編集委員会/大本山池上本門寺/昭和56年(1981年)
  • 『池上法類中延法縁史』/中延法縁史編集委員会/中延法縁/平成29年(2017年)7月
  • 『正中山遠壽院加行門人帳』/常円寺日蓮仏教研究所/正中山遠壽院大荒行堂/令和3年(2021年)

外部リンク

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