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独占!女の60分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
女の60分から転送)
独占!女の60分
ジャンル バラエティ番組
出演者 水の江瀧子
岩井友見
ほか
製作
制作 NETテレビ→テレビ朝日
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1975年10月4日 - 1992年3月28日
放送時間土曜 12:00 - 13:00
放送分60分
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独占!女の60分』(どくせん おんなのろくじっぷん)は、1975年10月4日[1]から1992年3月28日までテレビ朝日(放送開始当初はNETテレビ)の制作により一部を除くテレビ朝日系列局ほかで生放送されていた土曜昼のバラエティ番組である。 制作局のテレビ朝日では毎週土曜 12:00 - 13:00 (日本標準時)に放送されていた。 時差ネットで放送される地域もあった。

概要

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主婦をターゲットにしていた番組で、番組のレギュラーには女性出演者と女性リポーターしか登場しない構成[2]、「女のための、女による、女の60分」をキャッチフレーズに掲げていた。しかしながら、企画内容はラブホテルの紹介、夜の日比谷公園の取材、日活ロマンポルノの撮影現場潜入など、土曜昼のテレビ番組としては過激なものもあった。当初は水の江瀧子がメイン司会を、丹下キヨ子宮城千賀子がサブ司会(ご意見番)を務めていた。取材リポートを「アタック」、リポーターを「アタッカー」と称していた。

しかし、放送開始から7年半後の1983年春にサブ司会の丹下が降板。それから4年後の1987年春にはメイン司会の水の江とサブ司会の宮城も降板し、以後は岩井友見がメイン司会を、アタッカーOGのキャシー中島ら数人がサブ司会を務めるようになった。と同時に、冒頭のキャッチフレーズも廃止された。この頃から内容も柔和なもの(例えば、トライアスロンなどのスポーツに挑戦した企画など)が多くなっていった。

1992年春の改編で帯番組に昇格。平日12時台へ移動し、『お昼の独占!女の60分』と改題して放送されるようになったが、こちらは半年で終了した。

歴代司会者

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メイン司会者

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サブ司会者(ご意見番)

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歴代アタッカー(リポーター)と代表的なアタック

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水の江瀧子時代

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岩井友見時代

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各ネット局の主な放送時間

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  • 土曜 12:00 - 13:00(制作局のNETテレビ→テレビ朝日)
  • 日曜 19:00 - 20:00(近畿放送/末期)→野球中継や特別番組でほとんど放送されなかった。
  • 水曜 0:20 - 1:20(火曜深夜)(サンテレビ/末期)→野球中継延長時は繰り下げて放送。
  • 土曜 12:00 - 13:00(テレビ和歌山/末期)

ネット局

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◎=は後継番組である『お昼の独占!女の60分』も放送していた局。○は『お昼の独占!女の60分』を同一地域の他局で放送していた局。

系列は放送当時のもの。
放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 テレビ朝日 テレビ朝日系列 制作局
1977年3月まではNETテレビ
北海道 北海道テレビ ◎1989年3月打ち切り
青森県 青森朝日放送 ◎1991年10月開局から
山形県 山形テレビ フジテレビ系列 ○途中打ち切り(打ち切り時期不明)[注釈 1]
1977年4月の時点では、月曜0:35(日曜深夜)から放送されていた[3]
宮城県 東日本放送 テレビ朝日系列
福島県 福島中央テレビ 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1975年10月から1980年3月まで放送[4]
福島放送 テレビ朝日系列 ◎1981年9月19日のサービス期間から放送[5]
新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列
テレビ朝日系列
1983年9月まで
現:NST新潟総合テレビ
1981年3月までは日本テレビ系列とのトリプルネット局
新潟テレビ21 テレビ朝日系列 ◎1983年10月開局から
長野県 長野放送 フジテレビ系列 1975年10月4日から1976年10月16日まで[6]
テレビ信州 テレビ朝日系列
日本テレビ系列
1980年10月4日から1991年3月2日まで[7]
長野朝日放送 テレビ朝日系列 ◎1991年4月開局から[8]
静岡県 静岡けんみんテレビ ◎現:静岡朝日テレビ、1978年7月開局から
1979年6月までは日本テレビ系列とのクロスネット局
富山県 北日本放送 日本テレビ系列 1976年時点で土曜 12:00 - 12:54にて放送[9]
石川県 石川テレビ フジテレビ系列 途中打ち切り[注釈 2]
北陸朝日放送 テレビ朝日系列 ◎1991年10月開局から
中京広域圏 名古屋テレビ
岐阜県 岐阜放送 独立UHF放送局
三重県 三重テレビ
京都府 近畿放送 ○現:KBS京都[注釈 3]
和歌山県 テレビ和歌山 [注釈 4]
兵庫県 サンテレビ ○1990年に打ち切られたが翌1991年に再開
広島県 広島ホームテレビ テレビ朝日系列 ◎1981年3月打ち切り[注釈 5]
香川県・岡山県 瀬戸内海放送
愛媛県 南海放送 日本テレビ系列 ◎途中打ち切り
福岡県 九州朝日放送 テレビ朝日系列
長崎県 長崎文化放送 ◎1990年4月開局から
熊本県 熊本朝日放送 ◎1989年10月開局から
大分県 大分放送 TBS系列 ○途中打ち切り[注釈 6]
宮崎県 宮崎放送 ◎途中打ち切り
鹿児島県 鹿児島放送 テレビ朝日系列 ◎1982年10月開局から

脚注

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注釈

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  1. ^ 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局。但し、『お昼の独占!女の60分』については当時日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット局だった山形放送で時差ネットで放送された。また、山形テレビは1993年4月からテレビ朝日系列フルネット局にネットチェンジした。
  2. ^ 中断と再開を繰り返していた。
  3. ^ 1987年より放送時間が19:00からに変更してからは、野球中継や特別番組で年間15回ほどしか放送されなかった。但し、『お昼の独占!女の60分』については朝日放送で同時ネットで放送され、本番組を一切ネットしなかった大阪府滋賀県奈良県でも放送された。
  4. ^ 夏の時期は高校野球中継のため返上になることがあった。
  5. ^ 打ち切り後は『あっちこっち丁稚』(朝日放送)などの遅れネット番組や自社制作番組などを編成。1983年には本番組のフォーマットによる企画ネット番組として『独占!ひろしま60分』を放送した。こちらは男性のアタッカーも出演し、リポートの内容も地域情報を中心としていた。
  6. ^ 但し、『お昼の独占!女の60分』については当時日本テレビ系列・フジテレビ系列・テレビ朝日系列のトリプルネット局だったテレビ大分で同時ネットで放送された。

出典

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  1. ^ 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、413頁。NDLJP:12276014/495 
  2. ^ 「番組案内」『財界ふくしま』第10巻第9号、行政問題研究所、1981年9月10日、96頁、NDLJP:2832592/53 
  3. ^ 日刊スポーツ』1977年4月3日 - 24日付テレビ欄。
  4. ^ 福島民報』1975年10月4日、1980年3月28日付朝刊テレビ欄。
  5. ^ 『福島民報』1981年9月19日付朝刊テレビ欄。
  6. ^ 1975年10月4日、1976年10月16日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  7. ^ 『信濃毎日新聞』1980年10月4日、1991年3月2日 テレビ欄
  8. ^ 『長野朝日放送の20年』(2011年4月1日、長野朝日放送発行)p144。
  9. ^ 『北國新聞』1976年10月4日付朝刊、テレビ欄。

関連項目

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NETテレビ→テレビ朝日 土曜 12:00 - 13:00
前番組 番組名 次番組
土曜ショー(第2期)
(1974年10月 - 1975年9月)
※12:00 - 12:55
(不明)
※12:55 - 13:00
独占!女の60分
(1975年10月4日 - 1992年3月28日)
天下の達人!4本勝負
(1992年4月4日 - 1993年3月27日)