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奥沢 (東秩父村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥沢
県道熊谷小川秩父線
県道熊谷小川秩父線
奥沢の位置(埼玉県内)
奥沢
奥沢
奥沢の位置
北緯36度3分27.67秒 東経139度11分47.29秒 / 北緯36.0576861度 東経139.1964694度 / 36.0576861; 139.1964694
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
秩父郡
市町村 東秩父村
地区 大河原地区
標高
156 m
人口
2015年(平成27年)10月1日現在)[1]
 • 合計 219人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
355-0373[2]
市外局番 0493[3]
ナンバープレート 熊谷
※座標・標高は奥沢農村センター付近のもの

奥沢(おくさわ)は、埼玉県秩父郡東秩父村大字[4]郵便番号は355-0373(小川郵便局管区)[2]

地理

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東秩父村北東部に位置する[4]。北で大里郡寄居町西ノ入比企郡小川町木呂子勝呂と、東で安戸と、南で御堂と、西で坂本と接する。大部分は山林で、南端を東流する槻川北岸に僅かな水田がみられる山村であり、集落は槻川と並行して走る県道11号線沿いの低位段丘に散在する[4]。かつては紙漉きが盛んだったが、1980年代末までに2軒と激減している[4]

河川

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山岳

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歴史

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古くは平安時代に成立した[5]大河原郷玉川領武光荘に属したと言われる[4][6]江戸期初めは天領だったが、元文5年(1740年)からは旗本深津氏の知行となった[6]。『武蔵田園簿』による村高は86石余、他に紙舟役1貫200文、「元禄郷帳」では143石余、「天保郷帳」で144石余[4]。『旧高旧領取調帳』では秩父郡代・木村飛騨守支配として144石余が計上されている。紙漉きが盛んに行われ、槻川の沿岸には楮皮を流れに晒すための楮晒小屋が点在した[4]

奥沢村は分水嶺の東側にあるが秩父郡の郡管に属する外秩父十五ヶ村のひとつに数えられている[7]明治時代に入り1884年明治17年)には連合戸長役場制により、奥沢村は安戸村御堂村と共に秩父郡御堂村連合戸長役場区域に属した。後の1889年明治22年)4月1日町村制施行に伴いこの秩父郡御堂村連合戸長役場区域の3ヶ村は合併して大河原村となり奥沢村は大河原村の大字奥沢となった[4]。戦後の1956年昭和31年)には大河原村が槻川村と合併し東秩父村を新設、東秩父村の大字となった[4]1947年(昭和22年)のキャサリン台風で被害を受けた。またしばしば凍霜害雹害を受けている[4]

地名の由来

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山あいにある沢の奥に位置することによる[4][6]

沿革

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世帯数と人口

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2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
奥沢 89世帯 219人

交通

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鉄道

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地内に鉄道は引かれていない。下記バス路線を使って小川町駅及び寄居駅が利用できる。

バス

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道路

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施設

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脚注

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  1. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2017年5月30日). 2017年9月10日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月20日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k 角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1987年7月再版、P200、PP1320-1323。
  5. ^ 西村敏也『秩父武甲山に関する一考察─狼信仰とヤマトタケルの由緒─』、武蔵大学総合研究所「武蔵大学総合研究所紀要 (19)」所収、PP207-224、2009年 PDF、2011-08-05閲覧。
  6. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 奥澤村.
  7. ^ 吉田東伍『増補大日本地名辞書 第六巻 坂東』冨山房、1970年6月増補(1903年10月初版)470-472頁。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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