奥山朝忠
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛永6年4月19日(1629年6月10日)[1] |
別名 | 六左衛門[2] |
戒名 | 長久院殿奇峰道雲居士[1] |
墓所 | 龍潭寺(浜松市浜名区引佐町井伊谷)[1][3] |
主君 | 井伊直政→直継(直勝)→直孝 |
氏族 | 奥山氏(奥山六左衛門家) |
父母 | 父:奥山朝宗(親秀)[4] |
妻 | 中野直之娘[5] |
子 | 朝久[6]、朝景[6]、朝親[6] |
奥山 朝忠(おくやま ともただ)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。遠江国引佐郡奥山郷の人。井伊氏庶流の実力者。六左衛門[2]とも。徳川四天王・井伊直政の従兄弟にあたる。
人物
[編集]遠江国引佐郡井伊谷を治める井伊氏の親類衆[注釈 1]にあたり、朝忠の父・朝宗は井伊直政の母・おひよと兄妹(奥山朝利の子)である。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで父・朝宗が戦死。永禄11年(1568年)に一度井伊家が瓦解した際も、他の大名に仕えることをせず、領内にいた[2]。直政の徳川家康への出仕後も井伊氏の家臣として直継、直孝の彦根藩政期まで仕える。彦根藩は、直孝の大坂の陣における戦功により25万石を領することとなり、18万石当時に創築された彦根城を、石高にふさわしい規模とするための2度目の築城工事を元和2年(1616年)から元和8年(1622年)にかけて行ったが、その際、朝忠は2度目の工事の総奉行を務めた[7]。
登場する作品
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『龍潭寺文書』
- 祖山法忍『井伊氏系図』。浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
- 功力君章『井伊年譜』 1巻。国立国会図書館デジタルコレクション
- 中村不能斎『彦根山由来記』1910年。国立国会図書館デジタルコレクション
- 『彦根山由来記』現代語版 第二版
- 小和田哲男『争乱の地域史 西遠江を中心に』 小和田哲男著作集第四巻、清文堂出版、2001年。ISBN 978-4792404956。
- 『歴史読本』第50巻第12号、新人物往来社、2005年。
- 楠戸義昭『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』PHP研究所〈PHP文庫〉、2016年。ISBN 978-4569765525。
- 石田雅彦 著、井伊達夫 編『女城主井伊直虎 その謎と魅力』アスペクト、2016年。ISBN 978-4757224704。