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奥保夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥 保夫
生誕 1883年12月5日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1948-10-11) 1948年10月11日(64歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1905年 - 1936年
1937年 - 1939年
最終階級 陸軍少将
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奥 保夫(おく やすお、1883年明治16年)12月5日[1] - 1948年昭和23年)10月11日[2])は、日本陸軍軍人華族。最終階級は陸軍少将功級爵位功三級伯爵[2][3]

経歴

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1883年明治16年)に奥保鞏の長男として東京府で生まれた[1][2]陸軍士官学校第17期、陸軍大学校第30期卒業[1]1930年(昭和5年)3月6日陸軍戸山学校教育部長に就任し[3]8月1日陸軍歩兵大佐に進級[3]。同年8月15日に伯爵を襲爵した[2]1932年(昭和7年)8月に近衛歩兵第3連隊長に転じた[3]

1935年(昭和10年)3月15日に陸軍少将に進級し[3]、歩兵第27旅団長に着任[1]1936年(昭和11年)8月1日に待命[3]8月28日予備役に編入された[1]1937年(昭和12年)9月30日に召集され歩兵第128旅団長(第10軍第114師団)に就任し[1]日中戦争に出動[1]杭州湾に上陸し[1]南京攻略戦では雨花台中華門への突撃を敢行し武功をあげた[1]。その後第2軍隷下に編入され[1]徐州会戦に出撃した[1]1939年(昭和14年)3月9日に召集解除となった[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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勲章等

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 福川 2001, 182頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, 361頁.
  3. ^ a b c d e f 外山 1981, 224頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」123頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 霞会館華族家系大成編輯委員会 編『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。ISBN 4642036709 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
日本の爵位
先代
奥保鞏
伯爵
奥家第2代
1930年 - 1947年
次代
華族制度廃止