奈古屋隆忠
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長8年(1603年) |
死没 | 貞享3年1月26日(1686年2月18日) |
別名 | 通称:伝十郎、与三右衛門尉、勘兵衛 |
主君 | 毛利就隆→元賢 |
藩 | 徳山藩 |
氏族 | 大江姓毛利氏庶流奈古屋家 |
父母 | 父:奈古屋元忠 母:神代忠兼の娘 |
兄弟 |
隆忠、小方隆冬、十兵衛、保宣、隆豊、 長意、念誉、女(堀平左衛門の妻)、 女(村上就次の妻) |
妻 |
正室:日野元重の娘 継室:木梨景吉の娘、深瀬直良の娘 |
子 | 隆充、隆吉、宗豊、匡直、女(氏家為棟室)、杉山次俊 |
奈古屋 隆忠(なごや たかただ)は、江戸時代初期の徳山藩家老。禄高は500石。父は奈古屋元忠。子に奈古屋隆充(奈古屋里人の実父)、隆吉、宗豊、匡直、女(氏家為棟室)、杉山次俊。
生涯
[編集]慶長8年(1603年)、毛利家の家臣・奈古屋元忠の長男として生まれる。
寛永7年(1630年)に父が死去するとその跡を継ぎ、毛利就隆、元賢の2代にわたって仕えた後、貞享3年(1686年)1月26日に死去した。享年84。子の隆充が跡を継いだ。