太田資政
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永元年(1624年) |
死没 | 寛文10年5月19日(1670年7月6日) |
改名 | 資周(初名)、資政 |
官位 | 志摩介 |
藩 | 遠江浜松藩世嗣 |
氏族 | 太田氏 |
父母 | 太田資宗、板倉重宗娘 |
兄弟 |
資政、資次[1]、資良、奈辺、稲葉正吉正室、永井尚庸継室、一柳末礼正室、 土井利益正室、角倉玄恒室 |
太田 資政(おおた すけまさ)は、江戸時代前期の遠江国浜松藩太田家の世嗣。官位は志摩介。
略歴
[編集]太田資宗の長男として誕生した。母は板倉重宗の娘。初名は資周。
嫡男として生まれ、寛永16年(1639年)に徳川家光に拝謁する。しかし、慶安4年(1651年)頃に廃嫡され、家督を相続することはなかった。代わって寛文11年に次弟の資次[注釈 1]が嫡子となった[1]。
寛文10年(1670年)、47歳で没。