太田貞昌
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太田 貞昌 | |
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生誕 |
1889年11月27日 日本 東京府 |
死没 | 1957年7月10日(67歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
太田 貞昌(おおた さだまさ、1889年(明治22年)11月27日[1] - 1957年(昭和32年)7月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1889年(明治22年)に東京府にで生まれた[1]。陸軍士官学校第23期卒業[1]。1937年(昭和12年)9月15日に歩兵第36連隊補充隊長に就任し[2]、11月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1938年(昭和13年)7月に歩兵第36連隊長(第11軍・第9師団・歩兵第18旅団)となり[1][2]、日中戦争に出動[1]。武漢作戦では瑞昌を抜き[1]、岳陽楼に日章旗を掲揚する武勲を立てた[1]。1940年(昭和15年)8月1日に大阪連隊区司令官に転じ[2]、12月2日に陸軍少将に進級した[3]。
1942年(昭和17年)4月に歩兵第58旅団長(第11軍・第68師団)に就任し、中国戦線に復帰[1]。九江に駐屯し、警備に任じた[1]。1944年(昭和19年)10月26日に陸軍中将に進級し[3]、中部軍司令部附を経て[4]、11月22日に留守第19師団長に就任した[1]。1945年(昭和20年)2月20日には朝鮮で編成された第79師団長(関東軍・第1方面軍・第3軍)に親補され[1]、ソ連侵攻による戦闘中に終戦を迎えた[1]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。