太田廃寺跡
太田廃寺跡(おおだはいじあと、三島廃寺跡)は、大阪府茨木市東太田にある古代寺院跡。史跡指定はされていない。塔心礎舎利容器は国の重要文化財に指定されている。
概要
[編集]大阪府北部、安威川東岸の台地上に位置する。1907年(明治40年)に塔心礎が発見され舎利容器が出土しているほか、発掘調査は実施されていない[1]。
伽藍配置は詳らかでないが、塔心礎が発見された地点のほか土壇状の高まりが2箇所あったといい、法隆寺式伽藍配置と想定される[1]。塔心礎は三角形の大盤石であったといい、上面に円形の柱穴孔が、その中央に方形の舎利孔を穿ち、舎利容器が納置されていた。舎利容器は大理石製石櫃・銅鋺・銀製容器・金製容器が入れ子状になったものである[1]。一帯では瓦が採集されており、そのうち創建期の軒丸瓦は単弁八弁蓮華文軒丸瓦・単弁十二弁蓮華文軒丸瓦(後者は河内寺廃寺跡(東大阪市)と同笵)、軒平瓦は三重弧文軒平瓦・忍冬唐草文軒平瓦であり、他に蓮華文棟端飾板がある[1]。また奈良時代-平安時代前期の単弁十六弁蓮華文軒丸瓦も認められる[1]。なお、寺域中枢部の様相は明らかでないが、南東の総持寺北遺跡の発掘調査では古代の建物群・瓦が認められることから、太田廃寺関連施設が存在した可能性が推定される。
創建期は白鳳-天平期の7世紀後葉-8世紀前葉頃と推定され、奈良時代を通しての存続が確実視される[1]。所在地の地名から、『新撰姓氏録』摂津国神別に見える中臣大田連の氏寺とする説が挙げられている[1]。
塔心礎舎利容器は1965年(昭和40年)に国の重要文化財に指定されている(指定名称は「摂津三島廃寺塔心礎納置舎利容器」)[2]。
遺跡歴
[編集]- 1907年(明治40年)、開墾の際に塔心礎の発見、舎利容器の出土[1]。
- 1965年(昭和40年)5月29日、塔心礎舎利容器が国の重要文化財に指定(指定名称は「摂津三島廃寺塔心礎納置舎利容器」)[2]。
- 昭和40年代、宅地化の際に瓦多数の採集[1]。
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 摂津三島廃寺塔心礎納置舎利容器(考古資料) - 内訳は以下。独立行政法人国立文化財機構所有、東京国立博物館保管。1965年(昭和40年)5月29日指定[2]。
- 金内箱 1合
- 銀外箱 1合
- 銅盒子 1合
- 石櫃 1合
-
銅壺
-
石櫃
関連施設
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(茨木市教育委員会設置)
- 「太田廃寺跡」『大阪府の地名』平凡社〈日本歴史地名大系28〉、1986年。ISBN 458249028X。
- 「太田廃寺跡」『新修茨木市史』 第7巻 史料編 考古、茨木市、2014年。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『茨木市史』茨木市、1969年。
- 網伸也「摂津の古墳と寺院」『季刊考古学』第60号、雄山閣、1997年。
- 『太田遺跡・太田廃寺跡 太田遺跡・太田城跡1』茨木市教育委員会・公益財団法人大阪府文化財センター〈茨木市文化財資料集第73集・公益財団法人大阪府文化財センター第302集〉、2020年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『太田遺跡・太田廃寺跡1』茨木市教育委員会・公益財団法人大阪府文化財センター〈茨木市文化財資料集第85集・公益財団法人大阪府文化財センター第328集〉、2024年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 摂津三島廃寺塔心礎納置舎利容器 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
座標: 北緯34度50分26.20秒 東経135度34分44.43秒 / 北緯34.8406111度 東経135.5790083度