天神森古墳
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天神森古墳 | |
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天神森古墳 (写真中央、木々が生い茂る) | |
所在地 |
山形県東置賜郡川西町大字上小松 字天神森1430-1[1] |
形状 | 前方後方墳 |
規模 |
全長77.5メートル 高さ4.26メートル(後方部)[2] |
出土品 |
底部穿孔土器 広口壺形土器 |
築造時期 | 4世紀末-5世紀初頭[3] |
史跡 | 山形県指定史跡 |
地図 |
天神森古墳(てんじんもりこふん)は、山形県東置賜郡川西町にある[4]、古墳時代前期後半のものと推定される前方後方墳。山形県指定史跡。
概要
[編集]大きさは、全長約75.58メートル、高さ約4.26メートル、後方部幅51.05メートルで[2]、周りには周溝を持つ。
昔から「天神森の墳丘は古墳ではないか」と指摘があったが、1980年(昭和55年)5月の川西町教育委員会とまんぎり会による調査から、前方後方墳であることが確認される[5]。さらに1982年(昭和57年)、明治大学の大塚初重教授の調査により東北地方で最大の前方後方墳である事が判明した[5][6]。
そして翌年、1983年(昭和58年)に発掘調査が行われ、
墳丘や周溝から出土した底部穿孔土器・広口甕型土器と仙台安久東遺跡の遺物との比較分析から、4世紀末から5世紀初頭ごろに築造されたものと推定される[7][8]。
主体部である被葬者の埋葬部分は未発掘である。 1984年(昭和59年)7月17日には、山形県指定史跡となった。
主な出土品
[編集]底部穿孔土器、広口甕型土器、須恵器、土師器、赤焼土器、片口土器(中世の陶器)[7]
所在地
[編集]〒999-0121
山形県東置賜郡川西町大字上小松 (複合文化施設「川西町フレンドリープラザ」に隣接。)
アクセス
[編集]関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ 社会教育課 1982, p. 調査要項
- ^ a b 社会教育課 1982, p. 16
- ^ 社会教育課 1982, p. 22
- ^ 社会教育課 1982, p. 1
- ^ a b 社会教育課 1982, p. 4
- ^ 社会教育課 1982, p. 発刊によせて
- ^ a b 社会教育課 1982, p. 14
- ^ 社会教育課 1982, pp. 21–22
参考文献
[編集]- 天神森古墳 - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分)
- 天神森古墳
- 旅そうだん
- 社会教育課, 川西町教育委員会 (1982), (PDF) 川西町埋蔵文化財調査報告書第6集 山形県川西町 天神森古墳 発掘調査報告書
外部リンク
[編集]- 川西町埋蔵文化財展示資料館
- 山形県立博物館 - ウェイバックマシン(2006年4月12日アーカイブ分)
- 山形大学付属博物館
座標: 北緯38度0分23.73秒 東経140度3分4.25秒 / 北緯38.0065917度 東経140.0511806度