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天理時報

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天理教 > 天理時報
天理時報
種類 週刊
サイズ タブロイド判

事業者天理外国語学校→)
株式会社天理時報社→)
天理教道友社宗教法人天理教
本社 (奈良県山辺郡丹波市町杣之内町1050→)
(奈良県天理市稲葉町80→)
奈良県天理市川原城町778
代表者 中山善司(天理教真柱
創刊 1930年(昭和5年)10月18日
言語 日本語
価格 1部 60円
月極 6ヶ月 2280円
年間 4560円
ウェブサイト https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/jiho/
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天理時報(てんり・じほう)とは天理教機関新聞紙で、天理教の出版・映像製作部門「天理教道友社」より発行されている。

概要

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天理教の文書伝道の役割を果たしている機関紙。天理教教内のニュースや各種イベントについて詳しく紹介しているほか、天理教信者の活動の様子、コラム・エッセーなどが掲載されている。会社名に天理時報がつく株式会社天理時報社発行していると誤認しがちだが、発行しているのは天理教道友社である。ちなみに道友社は宗教法人たる天理教の広報部門であり、独立の法人格を有していない。同様の手法は創価学会聖教新聞や、富士大石寺顕正会顕正新聞など、他の宗教団体でも採られている。

ただ、昔は天理時報社が発行していたため、[1]今でも時報社が発行していると認識している信者もいる。なお、印刷は天理時報社が担っている。発行日は1月1日号の同日発行から、以後毎週日曜日である。

歴史

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1930年昭和5年)10月18日天理図書館の開館式の当日に、同館よりタブロイド判で創刊された。当初は図書館報としての役割を果たしていた。しかし、1931年(昭和6年)7月2日の第37号より発行元が図書館から道友社に移管された。同年10月の第51号からは各教区や教会から発行されていた機関誌類を統合し、紙面も普通新聞紙型(ブランケット判)に拡大された。1943年(昭和18年)には第二次世界大戦が激しくなり、用紙節約の為に多くの出版物が休刊廃刊を余儀なくされたが、天理時報は紙面を減らし発行が続けられた。その後もページの増減を繰り返しながら長らくブランケット判にて発行されてきたが、2021年令和3年)4月4日号より判型が再びタブロイド版に戻された。[2]天理時報は現在では文書伝道の大きな要である。

購読数

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天理教自体は約30万部としているが、実際には下降しており現在は16・7万部あたりではないかとされている。[3]また、1984年(昭和59年)6月2日に清水表統領が拡張運動を提唱し、1984年10月13日には30万部購読を達成した。これがもっとも多かったとされている。拡張運動にはさまざまな意見があったが、今では拡張運動があったから16・7万部という数字を保てている現実がある。

過去に発行された天理時報

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  • 天理時報満州版・朝鮮
    1933年(昭和8年)の4月・9月に大陸布教の伸展が及んだことから現地語で相次いで発行された。

1937年(昭和12年)の立教百年祭と教祖50年祭の活動を活発化させるために全国に支局が開設され地域版が発行された。

  • 天理時報東京版(昭和9年3月発行)
  • 天理時報東海版(名古屋支局から昭和11年9月発行)
  • 天理時報九州版(福岡支局より同年11月発行)

その他、号外が発行されたこともある。また、教祖年祭(40年祭~100年祭)の時には日報として期間中に毎日発行されていた。

天理時報特別号

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天理時報特別号はB5判カラー8ページで毎月1回発行されている小雑誌。1996年平成8年)ににをいがけ用リーフレットに体裁が改められた「人間いきいき通信」と併合して発行されている。天理中学校美術教諭画家の西薗和泉の表紙や生活アドバイザーの鈴木よしみの「暮らしQ&A」のコーナーや、天理教の先生等によるコラムなどが掲載されている。

脚注

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関連項目

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外部リンク

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