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中山たまへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山 たまへ
個人情報
生誕
中山 たまへ

(1877-02-05) 1877年2月5日
死没 (1938-07-10) 1938年7月10日(61歳没)
宗教 天理教
配偶者 中山眞之亮
子供 長女:中山玉千代
長男:中山正善
両親 父:中山秀司
母:中山松恵
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中山 たまへ(なかやま たまへ、1877年明治10年)2月5日 - 1938年昭和13年)7月10日)は、日本宗教家天理教初代真柱中山眞之亮の夫人。奈良県天理市出身[1]

生涯

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大和国庄屋敷村(現在の奈良県天理市)出身。天理教の教祖である中山みきの長男・中山秀司とその妻の松恵の娘として生まれる。1881年明治14年)に父の秀司を、翌年の1882年(明治15年)に母の松恵を亡くし、以後、教祖で祖母のみきによって育てられる[2]

1890年(明治23年)12月7日中山眞之亮と結婚し長女の玉千代、長男の正善の1男1女を儲ける。1914年大正3年)12月31日に夫の眞之亮が天理教の初代真柱となりそれ以降は「御母堂様」と呼ばれた[2]

1910年(明治43年)1月28日に天理教婦人会を創設し、初代会長を務めた。また天理教教庁幹事長・天理教教庁総務部長・天理教教会本部教監などを歴任[2]

1938年昭和13年)7月10日心不全のため死去。享年61[2]

系譜

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脚注

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  1. ^ 1977年,平凡社『みかぐらうた・おふでさき』
  2. ^ a b c d 1933年,日本学術研究会『天理教の研究』