中山たまへ
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中山 たまへ | |
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個人情報 | |
生誕 |
中山 たまへ 1877年2月5日 |
死没 | 1938年7月10日(61歳没) |
宗教 | 天理教 |
配偶者 | 中山眞之亮 |
子供 |
長女:中山玉千代 長男:中山正善 |
両親 |
父:中山秀司 母:中山松恵 |
中山 たまへ(なかやま たまへ、1877年(明治10年)2月5日 - 1938年(昭和13年)7月10日)は、日本の宗教家。天理教初代真柱・中山眞之亮の夫人。奈良県天理市出身[1]。
生涯
[編集]大和国庄屋敷村(現在の奈良県天理市)出身。天理教の教祖である中山みきの長男・中山秀司とその妻の松恵の娘として生まれる。1881年(明治14年)に父の秀司を、翌年の1882年(明治15年)に母の松恵を亡くし、以後、教祖で祖母のみきによって育てられる[2]。
1890年(明治23年)12月7日に中山眞之亮と結婚し長女の玉千代、長男の正善の1男1女を儲ける。1914年(大正3年)12月31日に夫の眞之亮が天理教の初代真柱となりそれ以降は「御母堂様」と呼ばれた[2]。
1910年(明治43年)1月28日に天理教婦人会を創設し、初代会長を務めた。また天理教教庁幹事長・天理教教庁総務部長・天理教教会本部教監などを歴任[2]。
1938年(昭和13年)7月10日、心不全のため死去。享年61[2]。