天恵製菓
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | てんけい |
本社所在地 |
日本 〒399-3202 長野県下伊那郡豊丘村神稲6855 北緯35度31分59秒 東経137度53分15秒 / 北緯35.53303度 東経137.887423度座標: 北緯35度31分59秒 東経137度53分15秒 / 北緯35.53303度 東経137.887423度 |
設立 | 1966年7月(1923年2月創業) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 2100001023079 |
事業内容 | 流通半生菓子製造販売 |
代表者 | 片桐 義宣(代表取締役社長) |
資本金 | 3,200万円 |
売上高 | 51億円 |
従業員数 | 200名 |
関係する人物 | 熊谷元一(会社案内表紙画) |
外部リンク | https://tenkeiseika.co.jp/ |
特記事項: |
天恵製菓株式会社(てんけいせいかかぶしきがいしゃ、英: TENKEI SEIKA CO., LTD.)は流通半生菓子を扱う日本の製菓メーカー。本社所在地は長野県下伊那郡豊丘村神稲。
概要
[編集]一口サイズのどら焼「天恵どら焼」、最中などの和菓子、和洋折衷菓子、ブッセ、チョコ入りマシュマロ「ふんわかチョコタン」を代表とするマシュマロなどの洋菓子を製造。オリジナル商品の他にコンビニエンスストアやスーパーのプライベートブランドも手掛ける。日本国内のスーパーや小売店のほか、アジア諸国、欧米にも出荷している[1][2][3]。会社案内には、阿智村出身の童画家、熊谷元一が同社のために描いた絵が使われている。
社是は「愛」。企業理念は、「お客様のニーズに対応し、広く社会から信頼され、永遠に発展する企業と社員の豊な生活を目指して日々前進」である[4]。
主な商品
[編集]- 天恵どら焼
- 創業者・片桐裕(かたぎり ひろし)が1966年(昭和41年)に開発・発売したロングセラー商品。一口サイズのどら焼きで、耳を閉じていないのが特徴。会社設立当初、高田馬場にあった新日本機械工業株式会社(現 MASDAC)を訪れ、「直径4糎位のベビーどら焼きが作りたい」と創業者、増田文彦氏に訴えて完成した[5]。年間1億1200万個販売する(2020年時)。 2017年、同ラインで製造されているホットケーキアソートのパッケージ裏面の品名が「どら焼」になっていたことから、Twitterで謝罪した[6]。尚、現在、同製品の品名は「焼菓子」に変更されている。
- 力士餅最中
- 1977年1月に発売された軍配をデザインした種菓子に粒あんとぎゅうひ餅を詰めた最中。2003年第24回くまもと全国菓子大博覧会 技術優秀賞受賞。使用しているあんの製造方法は実用特許を取得している[7]。
- ふんわかチョコタン
- 1986年年3月に発売されたマシュマロでチョコを包んだお菓子。1993年の第32回モンドセレクション金賞受賞[8]。2016年リオデジャネイロオリンピック女子柔道で銀メダルを獲得した松本薫選手が、試合後に食べたいものとして挙げたチョコマシュマロである[9]。豊丘村出身の松尾レミ(Vo & Gt)と飯田市出身の亀本寛貴(Gt)のロックユニットGLIM SPANKYの依頼で作成された「オリジナルGLIM SPANKYチョコタン」[10] が、2018年の武道館公演の際にバスツアー客、招待客にプレゼントされた[11][12][13]。彼らの楽曲「白昼夢」は工場のお菓子の香りの記憶から作曲された[14][15]。2021年のツアーでは松本公演、新木場公演でオフィシャルグッズとして採用された[16]。
沿革
[編集]- 1923年(大正12年)2月 - 片桐牛太郎、片桐忠一が、長野県下伊那郡神稲伴野にて、「田島屋菓子舗」を創業[17]。
- 1943年(昭和18年)4月 - 戦時統制により菓子製造を中断[17]。
- 1946年(昭和21年)代用菓子の製造(芋飴等)を再開する[17]。
- 1949年(昭和24年)統制解除により生菓子の製造を再開[17]。
- 1952年(昭和27年)半生菓子の製造卸(小売店卸)に着手し、生菓子から撤退する[18]。
- 9月 - 田島屋菓子有限会社に改組[18]。
- 1953年(昭和28年)5月 - 諏訪支店を開設、下伊那郡外小売店卸を開始[19]。
- 1954年(昭和29年)1月 - 支店を辰野に移設[18]。
- 1956年(昭和31年)小売店舗を閉店、製造卸専門となる。長野県外卸問屋との取引開始[18]。
- 1959年(昭和34年)6月 - 田島屋製菓株式会社に改組。資本金350万円。代表取締役 片桐忠一[18]。
- 7月 - 新工場を長野県下伊那郡高森町下市田に建設[18]。
- 1960年(昭和35年)12月 - 専務 片桐盛孝 脳腫瘍により急逝[18]。
- 1961年(昭和36年)6月 - 工場閉鎖。田島屋製菓倒産[18]。
- 1962年(昭和37年)1月 - 片桐いその個人名義で菓子作り再開[20]。
- 1964年(昭和39年)最中充填機を導入、最中の量産に着手[20]。
- 1966年(昭和41年)7月 - 天恵製菓株式会社設立 資本金300万円。代表取締役 片桐裕[21]。
- 天恵どら焼 発売。
- 1969年(昭和44年)12月 - 資本金を800万円に増資。
- 1970年(昭和45年)5月 - 第一工場完成。
- 1972年(昭和47年)6月 - 飯田市座光寺に座光寺営業所開設。
- 1977年(昭和52年)1月 - 力士餅最中発売。
- 2月 - 天恵どら焼 通産大臣賞・名誉副総裁賞受賞。
- 3月 - 天恵菊最中技術最優秀賞受賞。
- 1981年(昭和56年)6月 - 力士餅最中販促用デザインディスプレイ"りきちゃん"作成[22]。
- 1985年(昭和60年)3月 - ふんわかチョコタン(チョコマシュマロ)発売[23]。
- 8月 - 夢づつみ(現在の二色あんづつみの原型)発売。
- 8月 - 和風らんす万頭(現在の二色あんパイの原型)発売。
- 1986年(昭和61年)7月 - 第二工場(現在の本社工場)完成[20][24]。
- 1988年(昭和63年)8月 - 資本金を3,200万円に増資[19]。
- 1989年(平成元年)8月 - 和風ふらんす万頭、第21回全国菓子大博覧会 総裁賞受賞[25]。
- 11月 - 通産大臣賞受賞[26]。
- 1993年(平成5年)6月 - ふんわかチョコタン、モンドセレクション金賞受賞[8][27][28][29]。
- 1994年(平成6年)7月 - 市田柿ムース、伴野原掘器(とものはらクッキー)発売[30]。
- 1999年(平成11年)10月 - 第三工場完成[20]。
- 本社工場、厚生大臣賞受賞[20]。
- 2007年(平成19年)6月 - ISO 22000-2005認証取得。[31]
- 2008年(平成20年)3月 - 第四工場完成[20]。
- 6月 - ふんわかチョコタン、モンドセレクション金賞受賞。
- 2009年(平成21年)5月 - 片桐義宣社長就任[32]。
- 2010年(平成22年)11月 - ニッポン全国物産展第一回「おやつランキング」にて「市田柿ムース」が4位入賞[33][34][35]
- 2014年(平成26年)6月 - ふんわかチョコタン、モンドセレクション金賞受賞[36]。
- 2016年(平成27年)5月 - しあわせ信州移動知事室で阿部守一長野県知事が訪問[37]。
- 2017年(平成29年)3月 - 第五工場完成[38][39][40][41]。
- 2019年(令和元年)6月 - ふんわかチョコタン、モンドセレクション金賞受賞[42]。
- 2021年(令和3年)5月 - 第一工場解体[43]。
拠点
[編集]関連会社
[編集]- 株式会社恵泉
- 本社(※所在地は管理センターと同じ)
脚注・出典
[編集]- ^ “挑む 信州企業 多品種少量でヒット狙う 天恵製菓(下伊那郡豊丘村)”. (2001年7月6日 日本経済新聞 長野版)
- ^ “経営者に聞く 明日への指針「消費者に喜んで頂ける」半生菓子を、「愛」を持って作り続ける 天恵製菓株式会社 代表取締役 片桐義宣氏”. (2017年4月 経済月報)
- ^ “きょうの人こと 天恵製菓社長 片桐義宣”. (2016年10月7日 信濃毎日新聞)
- ^ “伊那谷の企業と人 社是に「愛」を掲げて 天恵製菓株式会社③”. (2021年(平成22年)1月26日 信州日報)
- ^ 『夢 限りなく』天恵製菓株式会社、2004年5月、122,123頁。
- ^ “ホットケーキアソートはどら焼きだった!衝撃の事実を知って騙された気分に”. グットピ!. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “特許3559263”. 独立行政法人工業所有権情報・研修館. 2021年6月2日閲覧。
- ^ a b “「ふんわかチョコタン」世界の舞台で金賞 豊丘村の天恵製菓”. (1993年10月7日 朝日新聞)
- ^ “【リオ2016】銅メダル獲得の松本薫、いま食べたいものは?「マシュマロチョコ。20円の」”. IID, Inc.. 2021年5月27日閲覧。
- ^ “GLIM SPANKY本日は新曲のレコーディング中”. facebook. 2021年6月13日閲覧。
- ^ “甘い香りの記憶と交流から生まれたグリムチョコタン”. 南信州新聞社. 2021年5月31日閲覧。
- ^ “天恵製菓 オリジナルGLIM SPANKYチョコタン(チョコマシュマロ)Twitter キャンペーン開催中”. 日刊工業新聞. 2021年5月31日閲覧。
- ^ “「GLIM SPANKY LIVE AT 日本武道館」JTBアクセスツアー実施決定!”. GLIM SPANKY. 2021年5月31日閲覧。
- ^ “GLIM SPANKY、約一年ぶりのアルバム『BIZARRE CARNIVAL』で表現した 唯一無二の“日本語ロック””. Fanplus Music. 2021年5月31日閲覧。
- ^ “GLIM SPANKY バンドの新しい魅力を強く打ち出した新作、直前に迫った初の武道館公演について訊く”. WHAT's IN? tokyo. 2021年6月3日閲覧。
- ^ “『#GLIMSPANKY Live Tour 2021』”. Twitter GLIM SPANKY. 2021年12月20日閲覧。
- ^ a b c d “伊那谷の企業と人 半生菓子の道ひらく -夢のはじまり- 天恵製菓株式会社①”. (2010年1月26日 信州日報)
- ^ a b c d e f g h “伊那谷の企業と人 伊那谷の企業と人 倒産の試練を越えて 天恵製菓株式会社②”. (2010年1月27日 信州日報)
- ^ a b “半生菓子 商品開発努力が奏効 半生菓子全国の30%を占める”. (1987年12月1日 南信州新聞)
- ^ a b c d e f “伊那谷の企業と人 社是に「愛」を掲げて 天恵製菓株式会社③”. (2010年1月28日 信州日報)
- ^ 三菱UFJリサーチ&コンサルティング (2016). “わが社の逸品 天恵製菓 豊に香るふわふわの生地ととろける甘さの"半生菓子"”. 三菱UFJビジネススクエア SQUET: 29.
- ^ “天恵製菓 夏場の半生開発 ホイル焼二品 夏期特売実施”. (1981年6月15日 菓子産業新論)
- ^ “天恵製菓 マシュマロに新風 ふんわかチョコタン”. (1985年7月15日 菓子産業新聞)
- ^ “天恵製菓 新工場を建設 半生菓子のイメージアップへ”. (1986年8月6日 日本経済新聞 長野版)
- ^ “天恵製菓が総裁賞 社是「愛」異色の活動”. (1989年8月20日 南信州新聞)
- ^ “天恵製菓が通算大臣賞 豊丘 工業統計調査に長年協力”. (1989年11月19日 南信州新聞社)
- ^ “初の出品で金的 売れ続けるヒット商品 第32回モンドセレクションで金賞「ふんわかチョコタン」”. (1993年9月25日 食品産業新聞)
- ^ “世界食品コンテストで天恵製菓金賞受賞”. (1993年9月25日 菓子産業新聞)
- ^ “豊丘の天恵製菓 菓子五輪で金賞 マシュマロでチョコ包む”. (1993年8月24日 中日新聞)
- ^ “豊丘村の天恵製菓 国内最大のパン状炭化物 クッキーを試作 村の特産品目指す 伴野原遺跡跡発掘物をまね”. (1994年3月2日 中日新聞 南信版)
- ^ “ISO22000菓子製造で初の認証取得 豊丘村の天恵製菓 キックオフから1年半 で”. (2007/7/5 (南信州新聞))
- ^ “和洋半生メーカートップの「誇り」天恵製菓株式会社”. (2012年4月 菓子食品新聞 2012年春季特別号)
- ^ “ニッポン全国物産展”. ニッポン全国物産展. 2011年1月1日閲覧。
- ^ “ニッポン全国おやつランキング”. 金精軒. 2021年6月2日閲覧。
- ^ “【ニッポン全国ご当地おやつランキング】結果発表”. シネマカラーズ. 2021年7月5日閲覧。
- ^ “天恵製菓がモンド金賞”. (2014年12月26日 南信州新聞)
- ^ “【「しあわせ信州移動知事室」第4報】3日目(5月18日)の様子”. 長野県庁. 2022年4月4日閲覧。
- ^ “天恵製菓 第五工場 竣工式 どら焼き・製餡工程を増強”. (2017年4月2日 菓業食品新聞)
- ^ “第五工場完成!新たな一歩 天恵製菓 新工場完成記念式典開催”. (2017年4月3日 菓子食品新聞)
- ^ “天恵製菓が工場増築 どら焼きなど製造 生産力1.8倍に”. (2016年9月30日 日本経済新聞 長野版)
- ^ “天恵製菓、来年3月に新工場稼働へ 県の助成対象認定受ける”. 南信州新聞社. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “Monde Selection Gold Bouncing Marshmallow”. Monde Selection. 2021年5月27日閲覧。
- ^ “第一工場にお別れを”. 南信州新聞社. 2021年5月28日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 天恵製菓 (@tenkei_seika) - X(旧Twitter)