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天伯原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天伯原(てんぱくばら/てんぱくはら[1])、あるいは天伯原台地(てんぱくばらだいち)は、愛知県豊橋市南部にある洪積台地[1]座標: 北緯34度41分59.84秒 東経137度25分27.71秒 / 北緯34.6999556度 東経137.4243639度 / 34.6999556; 137.4243639

天伯原台地の位置(愛知県内)
天伯原台地
天伯原台地
天伯原台地の位置
愛知県地形図
愛知県地形図

地理

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渥美半島の基部にあたり、遠州灘に面している洪積台地であり[1]、また背面が緩く逆傾斜する階段状の「逆ケスタ[2]。円礫・亜円礫層(天伯原礫層)と砂礫層から構成されている[1]豊橋技術科学大学が立地する。

歴史

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天伯原開拓の由来。天伯原開拓30周年記念像より。
天伯原開拓の由来。天伯原開拓30周年記念像より。

乏水性、強酸性の地質のため耕作には適していなかった[1]。そのため、1908年 (明治41年)に陸軍第十五師団が置かれると同時に、天伯原演習場が設置された[3]

第二次世界大戦後に農地として解放された[1]。しかし、食糧増産や失業対策を目的としてサツマイモや小麦の栽培が試みられたものの、前述のように不良土であったため、上手くいかなかった[4]。そこで、市街地のちり、ほこり、馬糞や炭酸カルシウムの投入を通して土壌を改善したという[4]豊川用水の通水によって乏水性についても改善され、白菜やキャベツなどが生産されている[1]。特にスイカが有名で、「天伯スイカ」というブランドで全国に出荷されている[5]

一方で、市街地化も進んでいる[1]

歴史考古学的には、古墳時代須恵器平安鎌倉時代の中世陶器を生産した静岡県湖西市湖西窯や、愛知県渥美半島渥美窯で使われた陶器用粘土の産出地であったという[6]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h 天伯原”. コトバンク. 2017年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月12日閲覧。
  2. ^ 地質を反映した地形”. 国土地理院. 2024年8月24日閲覧。
  3. ^ 高師原・天伯原陸軍演習場”. 豊橋市美術博物館 (2014年5月2日). 2017年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月12日閲覧。
  4. ^ a b 豊川用水通水前の農業”. とよはし 水と農の資料館. 豊橋市. 2017年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月12日閲覧。
  5. ^ スイカ”. あぐりパーク食彩村. 2017年9月17日閲覧。
  6. ^ 安井 2013 pp.12 2018年3月4日閲覧

関連項目

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参考文献

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  • 産業技術総合研究所地質調査総合センター『豊橋及び田原地域の地質』(PDF)〈地域地質研究報告 : 5万分の1地質図幅〉2008年。 NCID BA87285242https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_11058_2008_D.pdf 
  • 安井俊則「渥美窯の展開」『知多半島の歴史と現在(16)』第17巻、日本福祉大学知多半島総合研究所、2013年10月、1-12頁、ISSN 0915-4833 

外部リンク

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