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大阪偕星学園高等学校

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大阪偕星学園高等学校
地図北緯34度39分9秒 東経135度31分48.9秒 / 北緯34.65250度 東経135.530250度 / 34.65250; 135.530250座標: 北緯34度39分9秒 東経135度31分48.9秒 / 北緯34.65250度 東経135.530250度 / 34.65250; 135.530250
過去の名称 此花商業学校
此花工業学校
此花商業高等学校
此花学院高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人偕星学園
校訓 誠実・努力・信念
設立年月日 1929年
創立記念日 4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 特進コース
文理進学コース
進路探究コース
スポーツコース
学期 3学期制
学校コード D127310000806 ウィキデータを編集
高校コード 27517E
所在地 544-0021
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪偕星学園高等学校(おおさかかいせいがくえんこうとうがっこう,: Osaka Kaisei Gakuen High School)は、大阪府大阪市生野区にある私立高等学校

概要

旧制此花商業学校として1929年に創立。学制改革によって新制商業高等学校として発足したが、その後普通科単科の高等学校に改編され、進学指導やスポーツに力を入れている。生徒一人一人の夢と個性に応じた教育を行うことを謳っている。

男子校として出発したが、1995年男女共学が実施された。

沿革

  • 1929年4月1日 - 此花商業学校として、大阪市東淀川区長柄中通3丁目(現在の大阪市北区長柄中)で開校。
  • 1945年
    • 3月 - 日立造船が校舎を買収、同社「大淀工場」として操業開始[1]
    • 4月1日 - 戦時措置により校名を此花工業学校と改称。
    • 9月1日 - 校舎の戦時転用により、大阪市西区堀江国民学校(戦災による校区被害のため当時休校中)の仮校舎へ移転。校名を此花商業学校に復す。
  • 1949年
    • 3月22日 - 大阪市生野区北生野町2丁目(現在地)に移転。
    • 4月1日 - 学制改革に伴い此花商業高等学校として設置。
  • 1951年1月 - 旧校舎敷地にあった日立造船大淀工場が、日立ミシン株式会社へ譲渡される[1]
  • 1960年 - 普通科を新設。
  • 1973年 - 此花学院高等学校に改称。
  • 1991年 - 商業科を募集停止。
  • 1995年 - 一部コースで女子生徒の募集を開始、男女共学化。
  • 2004年 - 全コースで男女共学化を実施。
  • 2011年12月 - 大阪府私立学校審議会、定時制課程の廃止認可[2]
  • 2013年4月1日 - 校名を大阪偕星学園高等学校に改称。
  • 2016年4月1日 - 法人名を偕星学園に改称。
  • 2018年3月22日 - eラーニング対応型教室を備えた「すばる館」が竣工。
  • 2019年 - 第一体育館が竣工。

硬式野球部

2011年1月に山本晳が監督就任以後、徐々に府内を勝ち上がり始める。

2015年の夏は姫野優也らを擁し、前回大会優勝の大阪桐蔭に準々決勝で勝利。決勝では大体大浪商を破り、第97回全国高等学校野球選手権大会へ甲子園初出場した。大阪桐蔭を破った際は、高校のホームページにアクセスが集中してサーバーダウンする事態となった[3]

しかし、山本は2021年3月で依願退職する[4]。後に監督在任中の2020年に「Go To トラベル」の給付金を不正受給した詐欺事件を起こしていたことが発覚し、山本や同校野球部元コーチら3人が逮捕された[5]2022年11月17日、山本が懲役1年6カ月執行猶予3年の判決を言い渡された[6]

2022年1月からはPL学園高等学校野球部OBで元プロ野球選手の岩田徹が監督に就く[7]。その後の部内の不祥事等により、2023年8月に退任。

交通

著名な出身者

著名な教職員・関係者

脚注

関連項目

外部リンク