大間知篤三
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人物情報 | |
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生誕 |
1900年4月9日 日本富山県富山市 |
死没 | 1970年2月26日 (69歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 民俗学 |
研究機関 | 建国大学 |
大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4月9日[1] - 1970年(昭和45年)2月26日)は、日本の民俗学者。
経歴
[編集]1900年、富山県富山市愛宕町生まれ[1]。呉服屋を営む旧家に生まれ、父は富山橋北銀行の頭取。富山中学校[2]、第四高等学校卒[3]、1927年、東京帝国大学文学部独文科卒[4]。在学中、新人会に所属し、幹事長を務める。
卒業後には労働農民党書記を務め、日本共産党に入る[1]。金沢連隊に入営ののち、1927年三・一五事件で三年間下獄[1]。大間知ら、1927年2月『政治批判』創刊、1928年2月まで。1931年、出所して大宅壮一の翻訳団に加わる。1933年より柳田國男に師事、民間伝承の会(現日本民俗学会)の創立に参加。1935年、皆川治広の設立した思想犯保護団体大孝塾研究所(のち国民思想研究所)研究員。入隊時の上官・辻政信の推薦で1939年に満州建国大学講師、のち教授[1]。
戦後の1946年に満洲より帰国。1948年民俗学研究所嘱託、1950年代議員、1951年理事。1954年に結核のため退職したが、研究を続けた。
業績・研究内容
[編集]家族・婚姻が研究の中心であった[1]。著作集全6巻がある。
著書
[編集]共著・編纂
[編集]- 『婚姻習俗語彙』柳田国男共著 民間伝承の会 1937
- 『日本人物語 第4 愛情の周辺』編 毎日新聞社 1961
- 『八丈島』金山正好、坪井洋文共著 角川文庫 1966
- 『民俗の事典』川端豊彦、瀬川清子、三谷栄一、大森志郎、大島建彦共編 岩崎美術社 1972
翻訳
[編集]参考文献
[編集]- デジタル版日本人名大辞典
- 『1930、40年代の日本民俗学と中国』王京著、歴史民俗資料学叢書
- 上野和男 著「大間知篤三:その研究と方法」、瀬川清子、植松明石 編『日本民俗学のエッセンス:日本民俗学の成立と展開』(増補版)ぺりかん社〈ぺりかん・エッセンス・シリーズ〉、1994年、223-241頁。ISBN 4831506370。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 上野和男 1994
- ^ “富山高校人物伝|富山高校同窓会”. www.toyama-taromaru.net. 2021年2月4日閲覧。
- ^ 『第四高等学校一覧・第十臨時教員養成所一覧 自大正12年4月至大正13年3月』第四高等学校、1923年、p.231
- ^ 『東京帝国大学一覧 従大正15年至昭和2年』東京帝国大学、1927年、533頁。