大野寺
表示
大野寺 | |
---|---|
境内入り口 | |
所在地 | 奈良県宇陀市室生大野1680 |
位置 | 北緯34度33分45.3秒 東経136度0分56.3秒 / 北緯34.562583度 東経136.015639度座標: 北緯34度33分45.3秒 東経136度0分56.3秒 / 北緯34.562583度 東経136.015639度 |
山号 | 楊柳山 |
院号 | 慈尊院(旧称) |
宗旨 | 法相宗 → 新義真言宗 |
宗派 |
真言宗室生寺派 (もと法相宗興福寺別院宀一山室生寺末) |
本尊 | 弥勒菩薩 |
創建年 | 伝・白鳳9年(681年) |
開基 | 伝・役小角 |
正式名 |
楊柳山大野寺 慈尊院彌勒寺(旧称) |
札所等 |
大和北部八十八ヶ所霊場第66番 役行者霊蹟札所 大和地蔵十福霊場第9番 |
文化財 |
弥勒磨崖仏(史跡) 木造地蔵菩薩立像(重要文化財) |
法人番号 | 7150005004504 |
大野寺(おおのでら / おおのじ)は、奈良県宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派の寺院。山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩。開基は役小角と伝える。役行者霊蹟札所。
室生寺の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた彌勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。
歴史
[編集]宇陀川沿いの景勝の地にあり、近鉄室生口大野駅方面から室生寺へ向かう際の入口に位置する。伝承では白鳳9年(681年)、役小角(役行者)によって草創され、天長元年(824年)に空海(弘法大師)が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという。役小角は修験道の開祖とされる伝説的要素の多い人物であり、空海が堂を建立との話も創建を宗祖に仮託した伝承とされており、創建の正確な経緯は不明である。近くにある室生寺は興福寺系(法相宗)の僧によって創建・整備されており、大野寺の磨崖仏造立にも興福寺の僧が関係していることから見て、興福寺と関係の深い寺院であったと考えられている。
宇陀川をはさんだ対岸にある弥勒磨崖仏は、「石仏縁起」(万治2年・1659年)や「興福寺別当次第」によれば、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものである。
寺は明治33年(1900年)の火災で全焼した。その際、本尊をはじめとする仏像などは持ち出されたが、現存する建物はすべて火災以後のものである。
境内
[編集]- 本堂 - 本尊木造弥勒菩薩立像(秘仏)を安置する。
- 地蔵堂
-
境内
-
シダレザクラ(小糸枝垂桜、樹齢300年)
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 木造地蔵菩薩立像(彫刻) - 鎌倉時代の寄木造の像で、無実の娘を火あぶりの刑から救ったという伝説にちなみ「身代わり地蔵」と呼ばれている。
国の史跡
[編集]- 大野寺石仏
- 宇陀川の対岸に位置する高さ約30メートルの大岩壁に刻まれた弥勒磨崖仏。岩壁を高さ13.8メートルにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5メートルの弥勒仏立像を線刻で表す。前述のように、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものである。作者は宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ/いのゆきすえ)の一派と考えられている。山城国笠置山にあった弥勒の大石仏(現在は光背のみが残る)を模したものである。像の向かって左手の岩壁下方には円形の区画内に種子曼荼羅(尊勝曼荼羅)を刻む。1934年(昭和9年)11月10日指定[1]。
- 石仏は岩盤からの地下水の滲出等で剥落の危険があったため、1993年から1999年にかけて保存修理工事を実施。岩表面の苔類の除去や地下水の流路を変える工事などが行われた。