大郷村 (鳥取県)
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おおさとそん 大郷村 | |
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廃止日 | 1953年7月1日 |
廃止理由 |
編入合併 神戸村、大和村、美穂村、大正村、東郷村、明治村、豊実村、松保村、大郷村、吉岡村、千代水村、湖山村、末恒村、倉田村、面影村 → 鳥取市 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 気高郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.5 km2 |
総人口 |
1,617人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 松保村、吉岡村、湖山村、末恒村、宝木村 |
大郷村役場 | |
所在地 | 鳥取県気高郡大郷村大字松原98番地1 |
座標 | 北緯35度29分45秒 東経134度08分04秒 / 北緯35.495958度 東経134.134583度座標: 北緯35度29分45秒 東経134度08分04秒 / 北緯35.495958度 東経134.134583度 |
ウィキプロジェクト |
大郷村(おおさとそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは高草郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市大畑・金沢・福井・松原・六反田に当たり、湖山池南西岸の湖山川(長柄川)下流の沖積地に位置した。
往古は刑部郷と呼ばれ、江戸期には高草郡大谷保に属する10ヶ村の大谷村・岩本村・松原村・六段田村(六反田村)・福井村・大畑村(大畠村)・福谷村と、洞谷村・瀬田倉村・長柄村(後の吉岡村)が存在した[1][2]。
農家が約8割を占めて米麦の主産地となっていたが、副業として漁業を農家の3割近くが営み湖山池より鯉・鮒・白魚・糠鰕・鰻などを年産千貫以上の漁獲量をあげた[1]。
役場も置かれた金沢は米によって金が多く入ることで「金の沢」と呼ばれたことにちなみ、江戸期には産米を舟運で賀露まで運び、そこから鳥取や大坂方面に輸送した[3]。
沿革
[編集]- 1877年(明治10年) - 大谷村と岩本村が合併して金沢村となる[4]。大畑村が福谷村を合併する[5]。
- 1886年(明治19年) - 伏野村外6ヶ村戸長役場が伏野村(後の末恒村)に設置され、福井村はその管轄区域となる[6]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、松原村・金沢村・六段田村(六反田村)・大畑村・福井村が合併して村政施行し、大郷村が発足。旧村名を継承した5大字を編成し、役場を金沢村に設置[1]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡大郷村となる。
- 1946年(昭和21年)7月23日 - 役場を大字松原98番地1に変更[7]。
- 1953年(昭和28年)7月1日 - 鳥取市に編入。同日大郷村廃止[8]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]- 山根千蔵 - 稲村善次 - 谷口暢夫 - 奥村亀蔵 - 奥田虎蔵 - 稲村善彦 - 伊木徳蔵 - 福本秀次郎 - 三村定治 - 福本秀次郎(再) - 田中幸治 - 西田五美 - 西尾善一 - 福政義孝 - 福井義夫[1]
教育
[編集]- 大郷村立大郷小学校(後の鳥取市立大郷小学校、統合により鳥取市立湖南小学校となり現在は鳥取市立湖南学園)
- 鳥取県気高郡学校組合立湖南中学校(所在地は吉岡村、後に鳥取市立湖南中学校となり現在は鳥取市立湖南学園)
交通
[編集]道路
[編集]- 旧国道:湖山池の南を迂回し、松原・金沢を経て御熊峠を超えて宝木に至る[1]。
旧跡
[編集]- 防己尾城跡
脚注
[編集]- ^ a b c d e " 鳥取市七十年 : 市史(鳥取市、1962年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「大谷保」
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「金沢」
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「金沢村(近代)」
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「大畑村(近世)」
- ^ 郷土誌すえつね : 神話の郷・いやしの街( 「郷土誌すえつね」編集委員会、2018年)
- ^ 昭和21年10月8日付 鳥取県広報 号外「鳥取県告示第422号・気高郡大郷村役場位置変更」(鳥取県立公文書館)
- ^ 昭和28年6月23日付 鳥取県広報 第2424号「鳥取県告示第279号・市町村の廃置分合」(鳥取県立公文書館)