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大郷村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおさとそん
大郷村
廃止日 1953年7月1日
廃止理由 編入合併
神戸村大和村美穂村大正村東郷村明治村豊実村松保村大郷村吉岡村千代水村湖山村末恒村倉田村面影村鳥取市
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 9.5 km2
総人口 1,617
国勢調査、1950年)
隣接自治体 松保村、吉岡村、湖山村、末恒村、宝木村
大郷村役場
所在地 鳥取県気高郡大郷村大字松原98番地1
地図
旧・大郷村役場庁舎位置
座標 北緯35度29分45秒 東経134度08分04秒 / 北緯35.495958度 東経134.134583度 / 35.495958; 134.134583座標: 北緯35度29分45秒 東経134度08分04秒 / 北緯35.495958度 東経134.134583度 / 35.495958; 134.134583
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大郷村(おおさとそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは高草郡に属した。

概要

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現在の鳥取市大畑・金沢・福井・松原・六反田に当たり、湖山池南西岸の湖山川(長柄川)下流の沖積地に位置した。

往古は刑部郷と呼ばれ、江戸期には高草郡大谷保に属する10ヶ村の大谷村・岩本村・松原村・六段田村(六反田村)・福井村・大畑村(大畠村)・福谷村と、洞谷村・瀬田倉村・長柄村(後の吉岡村)が存在した[1][2]

農家が約8割を占めて米麦の主産地となっていたが、副業として漁業を農家の3割近くが営み湖山池より鯉・鮒・白魚・糠鰕・鰻などを年産千貫以上の漁獲量をあげた[1]

役場も置かれた金沢は米によって金が多く入ることで「金の沢」と呼ばれたことにちなみ、江戸期には産米を舟運で賀露まで運び、そこから鳥取や大坂方面に輸送した[3]

沿革

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  • 1877年(明治10年) - 大谷村と岩本村が合併して金沢村となる[4]。大畑村が福谷村を合併する[5]
  • 1886年(明治19年) - 伏野村外6ヶ村戸長役場が伏野村(後の末恒村)に設置され、福井村はその管轄区域となる[6]
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、松原村・金沢村・六段田村(六反田村)・大畑村・福井村が合併して村政施行し、大郷村が発足。旧村名を継承した5大字を編成し、役場を金沢村に設置[1]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡大郷村となる。
  • 1946年(昭和21年)7月23日 - 役場を大字松原98番地1に変更[7]
  • 1953年(昭和28年)7月1日 - 鳥取市に編入。同日大郷村廃止[8]

行政

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歴代村長

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  • 山根千蔵 - 稲村善次 - 谷口暢夫 - 奥村亀蔵 - 奥田虎蔵 - 稲村善彦 - 伊木徳蔵 - 福本秀次郎 - 三村定治 - 福本秀次郎(再) - 田中幸治 - 西田五美 - 西尾善一 - 福政義孝 - 福井義夫[1]

教育

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交通

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道路

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  • 旧国道:湖山池の南を迂回し、松原・金沢を経て御熊峠を超えて宝木に至る[1]

旧跡

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脚注

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  1. ^ a b c d e " 鳥取市七十年 : 市史(鳥取市、1962年)
  2. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「大谷保」
  3. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「金沢」
  4. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「金沢村(近代)」
  5. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「大畑村(近世)」
  6. ^ 郷土誌すえつね : 神話の郷・いやしの街( 「郷土誌すえつね」編集委員会、2018年)
  7. ^ 昭和21年10月8日付 鳥取県広報 号外「鳥取県告示第422号・気高郡大郷村役場位置変更」鳥取県立公文書館
  8. ^ 昭和28年6月23日付 鳥取県広報 第2424号「鳥取県告示第279号・市町村の廃置分合」(鳥取県立公文書館)

関連項目

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