大迫嘉昭
大迫 嘉昭(おおさこ よしあき、1939年 - )は、1968年、自費(スポンサーなし)によるバイクで世界一周をした最初の日本人。約30数か国走破、
走行距離約35,000km。
また1970年、アメリカ大陸のニューヨーク/ロサンゼルス間ルート66を走り約7,000kmをバイクで横断した最初の日本人の新婚旅行。
経歴
[編集]神戸生まれ。兵庫県立夢野台高校1958年卒、関西大学法学部卒業。
1962年大学卒業後、大阪の電鉄系旅行社に就職。1964年の東京オリンピック開催、海外渡航自由化を控え、英語の必要性を感じ、外務省私費留学試験を受け渡米。冒険家の植村直己と同じ頃、ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」の舞台になったカルフォルニア中部の葡萄畑や墓地で働きながら英語学校かウッドべり大学へ。
1964年、米国ではHondaのバイクとともに、Beach Boysの曲「Honda」が大流行。その年、初めてロサンゼルスで一台TOYOTA車が走っているのを見る。
1960年代、米国は外にベトナム戦争、内にキング牧師の公民権運動、頻発する黒人暴動、バイク集団「ヘルス・エンジェルス」の出現と米国社会の激動を経験。反面、ボブ・ディラン、ビーチ・ボーイズ、ビートルズ、シュープリムスなど音楽は黄金の60年代。そして映画「イージー・ライダー」と続き、米国大陸横断バイク全盛(ブーム―)時代の幕開け。
1966~1967年頃、日本では海外旅行ブームが始まり、ロサンゼルスの街角では英国産のウイスキー「ジョニ黒や赤」、デズニーランドでは「Made in Japan」のミッキーマウスのぬいぐるみを爆買するドレス・アップした日本人観光客が増加。航空会社に就職を試みるが永住権がなく不採用になり、帰国し、日本で航空会社に就職活動することにする。
「海外旅行ガイドブック」もない時代。日本で航空会社に就活するには世界の名所旧跡(観光地)を出来るだけ多く観ていたほうが有利と「旅費と利便性」を塾考の末、ロサンゼルスでヤマハYM1、305cc米国向け(混合燃料)バイク[1]で、1968年5月19日、ロサンゼルスから世界一周の旅に出発。6月8日ニューヨークで暗殺された歴史的ロバート・ケネディの葬儀を群衆の中で見る。そのあと客船で大西洋を横断、ヨーロッパ、パリ エッフェル塔下で世界旅行中の近若き日の著名な建築家安藤忠雄氏に逢う。東南アジアなど約30数ヵ国(現在旧ユーゴ内の内戦で国数が増えている)を回り、その年の12月無事帰国。その後、ルフトハンザ航空、コンチネンタル航空(営業部長)、シティバンク東京(Assistant Vice President)勤務。
著書
[編集]- 『カリフォルニ’60年代の記憶を訪ねて』新風舎2006年 ISBN 4-289-00023-1
- 『人生の途中下車』永山産業(株)2012年 ISBN 978-4-906860-02-9
- 『1968年のバイク世界一周旅行』永山産業(株)2015年 ISBN 978-4-906860-64-7・
脚注
[編集]3. https://web.archive.org/web/20190218023753/http://www.geocities.jp/ryosukejj/1968.pdf
4. http://www.berndtesch.de/English/Continents/WorldAround/
WorldAroundMotorcycle1951-1970.html