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ノート:大迫嘉昭

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--yoshiaki osako会話2018年8月24日 (金) 04:50 (UTC)参考http://www.berndtesch.de/English/Continents/WorldAround/WorldAroundMotorcycle1951-1970.html[返信]

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--yoshiaki osako会話2018年8月28日 (火) 23:02 (UTC)[返信]


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1968年のバイク世界一周旅行、その価値ある物語を噛みしめたい 


1968年のバイク世界一周旅行、その価値ある物語を噛みしめたい


社会

2015/8/26



『1968年のバイク世界一周旅行』(大迫嘉昭/水山産業出版部)

『1968年のバイク世界一周旅行』(大迫嘉昭/水山産業出版部)

 日本には二度の鎖国と開国がある。一度目は、江戸時代の禁教令に始まる鎖国体制と明治維新による開国。二度目は、東京オリンピックが開催された1964年の「海外渡航自由化」だ。今年のお盆休み期間には約27万人が海外旅行に出かけたそうだが、ほんの50年前には観光目的の海外旅行は許されず、留学・移住などの理由がなければ、パスポートすら発券されなかった。信じがたいが本当の話だ。

 そんな時代に、オートバイで世界を駆け巡った日本人がいた。『1968年のバイク世界一周旅行』(大迫嘉昭/水山産業出版部)のページをめくると、自費で史上初(?)のバイク世界一周旅行に挑んだ男の、汗と血とオイルの匂いをはらんだ、青春の風が吹いてくる。

 海外渡航自由化の少し前。J.F.ケネディ大統領が暗殺された1963年、著者の大迫氏は勤めていた大阪の旅行会社を辞め、語学留学のために単身、アメリカへ渡ろうと決意した。業界内では、東京五輪を機に海外渡航が自由化されると目されており、語学力の向上が必須だと考えたためである。

 私費留学生度を使えば留学ができると知った大迫氏は、猛勉強の末、条件の厳しい各種手続きをクリアし、留学試験に合格した。

 当時の大迫氏の月給は18,000円で、そこからやりくりして貯めた十数万円と餞別が全財産だった。対してアメリカまでの航空券が148,600円(給料7カ月分!)と超高額。航空運賃を支払い、手元に残った僅か100ドル(36,000円/当時は1ドル=360円)を手にアメリカへ飛んでしまった、大迫氏の無謀さと大胆さに驚く。だが、大迫氏の見据える先には、困難や不安よりも、希望が輝いていたに違いない。時に1964年7月のことだった。

 当時のアメリカは「世界で最も給料の高い国」だったこともあり、大迫氏は葡萄園での労働や、庭師の助手、墓地での草刈りといったアルバイトで生計を立てながら、ロサンゼルスの語学学校に通った。庭師助手の給料1カ月分が、日本での半年分だというのだから驚きだ。

 大迫氏が月180ドル(63,800円)を稼ぎ、アメリカンスタイルの生活にも慣れ、4年が過ぎた頃、転機は訪れる。

 4年の米国滞在中、さほど観光をしていないことに、大迫氏は気付く。これでは帰国して航空会社に就職希望をしても、大して有利にはならないだろう。どうするべきか?

 そして、日本を出発するときの夢──「帰国するときに世界旅行し、できるだけ多くの観光資源を観る」を思い出したのだ。

 それを聞いた友人(ヤマハの駐在員)が「バイクで世界一周はどう?」と提案した。既に、ヤマハのバックアップを受けて世界一周した人がいたこと、ガソリン代が自動車よりも圧倒的に安いこともあり、大迫氏はバイクでの世界一周を決めた。

 バイクは、ヤマハYM1(米国向け輸出仕様の305cc)を、750ドル(27万円)で購入。ひと月で180ドルを稼ぐ大迫氏にとって、安くはないが、無理な額ではなかった。

 バイクでの世界一周旅行は、『怒りの葡萄』(スタインベック)で描かれたルート66から始まった。LAからニューヨークを目指し、アメリカを西から東へ横断する。途中、落雷事故でバイクが破損するが、トラックの運転手に20ドル(運ちゃんの1日分の稼ぎ)を渡して街場まで運んでもらったり、交換部品を注文し、届くのを待って「駅で待合せ」、すれ違いのオマケ付きで3日もロスしたりと、ネットも携帯もある現在からは想像もつかないようなトラブルと、緩やかな時間の流れの中で、旅は続く。

 惜しむらくは、本書の1/3ほどがアメリカ生活の述懐であり、肝心のバイク旅行でのエピソードがダイジェスト気味なこと。各土地のガソリン事情などをもっと知りたかった。

 とはいえ、この旅は実にドラマチックだ。どんなハプニングにも、恐れることなく、知恵と機転で立ち向かう大迫氏の前向きな姿勢に引き込まれ、自分がバイクで旅をしているような興奮を覚えた。

 ボストンからポルトガル行きの豪華客船に乗り、舞台はヨーロッパへ。ツーリストクラスの乗船代金は374ドル(約13万円、当時の日本人の給料3カ月分)。客船ではチップは最終日にまとめて渡すことや、基本的にスーツ着用などのマナーを学んだ。

 今どき、海外旅行に行くのに着飾るのはナンセンスだと誰もが知っているが、当時は海外旅行に出られる人々のほとんどは富裕層。大迫氏のように革ジャン革パンのライダーは、同じ日本人から敬遠されていたという。海外旅行に対する時代の価値観の違いが面白い。

 そして、船はリスボンに到着。だが、欧州ではポルトガルだけがビザが必要だと知らなかった大迫氏は入国でモタつく。とっさの機転でドル紙幣を挟んだ旅券を渡して買収に成功するも(笑)、船はバイクを降ろさずにナポリへ!

 ナポリでようやく愛車YM1と合流した大迫氏のヨーロッパツアーが始まる。

 ガイドブックすらない時代。アメリカでは約15ドル/日だったのが、ヨーロッパでは約5ドル/日で過ごせることも行ってみて初めて分かった。地図を片手に、旅先やユースホステルで出会った日本人バックパッカーたちから情報を仕入れ、ヤマハYM1は走り続ける。

 スペインでは事故に遭い、フランスでは言葉が通じず「オムレツ地獄」、イギリス、オランダと抜け、西ドイツ。東へ行くなら手紙を渡して欲しいと頼まれたり、東ドイツでは、乗る列車を間違えて兵士に拘束される。

 欧州各国を経て、中東からゴールのインドを目指す大迫氏は、命に危機が迫る事件に遭ったり、インドで入国拒否されたりと、映画のようにスリリングな展開は尽きないが、その詳細はぜひ本書で確かめてほしい。

 2000ドル(72万円)でアメリカを出て約半年、2万キロの旅。資金に困ることはなく、手元には7万円が残ったという。

 この無謀で壮大な冒険、あるいは「若き日の寄り道」を駆け抜けた男は言う。

「最も大事なことは、バイクで世界何十万キロ走ろうが、何百か国訪ねようが、その経験を生かし、そこから先をどう生きるかである。(中略)夢は叶えるためにあるのであり、叶えることは経験につながる」と。

 経験が人生を豊かにする。夢に向かって努力しなければ、残るのは後悔だけだと、大迫氏は読者に檄を飛ばし、そして、優しく背中を押す。「やってみなはれ」と。

 1968年にバイクで世界一周した男の物語は、日々の仕事や生活に追われ、心の奥で眠ってしまった夢のエンジンに、熱い火を着ける。

文=水陶マコト