大路村 (鳥取県)
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おおろそん 大路村 | |
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廃止日 | 1918年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 大路村、三戸古村 → 米里村 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 岩美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
627人 (鳥取県統計書、1917年) |
隣接自治体 | 三戸古村、美保村、倉田村、面影村、津ノ井村 |
大路村役場 | |
所在地 |
鳥取県岩美郡大路村大字東大路 (大路村三戸古村組合役場) |
座標 | 北緯35度27分58秒 東経134度14分25秒 / 北緯35.466014度 東経134.240167度座標: 北緯35度27分58秒 東経134度14分25秒 / 北緯35.466014度 東経134.240167度 |
ウィキプロジェクト |
大路村(おおろそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは邑美郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市東大路・中大路・西大路、および南栄町の一部(1976年に東大路の一部などから発足[2][3])におおむね相当する。千代川支流の大路川中流域に位置した。
大路の名は村内にある大路山に由来し、その斜面や山頂には古墳群がある[4]。
藩政時代には鳥取藩領の邑美郡蔵田庄(くらだのしょう)に属する東大路村・中大路村・西大路村があった[5][6]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年) - 連合戸長役場を東大路村に設置。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、東大路村・中大路村・西大路村が合併して村制施行し、大路村が発足。旧村名を継承した3大字を編成。三戸古村との組合役場を大字東大路村に設置[7][8]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、邑美郡・法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足し、岩美郡大路村となる。
- 1914年(大正3年)10月1日 - 「大路村大字※大路村」から大字の「村」を削除し、「大路村大字※大路」と改称[9]。
- 1918年(大正7年)4月1日 - 三戸古村と合併して米里村が発足。同日大路村廃止[5]。
行政
[編集]戸長
[編集]歴代組合村長
[編集]- 米里村を参照。
教育
[編集]- 三徳尋常小学校(所在地は三戸古村大字古郡家、現在の鳥取市立米里小学校)
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 1/20000郡家 明治30年測図・明治33.3.30発行(今昔マップ on the web)
- ^ 「鳥取県告示第98号・町の区域の新設等(鳥取市南栄町 外)」『鳥取県公報 第4720号』1976年2月10日(鳥取県立公文書館)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「南栄町(近代)」
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「東大路」「中大路」「西大路」
- ^ a b c 鳥取市七十年 : 市史(鳥取市、1962年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「蔵田庄(近世)」
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 鳥取県町村合併誌102頁(鳥取県、1964年)
- ^ 「字名改称」『官報』1914年9月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 鳥取県職員録 明治22年9月調(鳥取県、1889年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 米里誌(米里誌編集委員会、2012年)