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大竹省二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1956年の大竹省二

大竹 省二(おおたけ しょうじ、1920年(大正9年)5月15日 - 2015年(平成27年)7月2日)は、日本写真家静岡県出身。写真家の大竹あゆみは養女[1]

経歴

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人物を撮影した写真が中心である。特に女優など女性のポートレート写真が多いが、報道写真・ヌード写真など幅広い分野での活動を続けた。

1920年(大正9年)静岡県小笠郡大須賀町(現・掛川市)に生まれる。尋常小学校1年のときに東京へ移る。中学生の頃よりアサヒカメラなどのカメラ雑誌に写真の投稿を始め、コンテストへの入選を重ねる。10代の後半には有望なアマチュアカメラマンとして著名になった。

1940年(昭和15年)中国上海在住の伯父を頼り渡航。上海の東亜同文書院に入学する。この年、学徒応召。1942年(昭和17年)応募した写真が農林大臣賞と読売新聞社賞を同時に受賞する。1944年(昭和19年)軍報道部、憲兵司令部で報道写真を担当し北京大使館報道部付となる。この時、加藤恭平林忠彦などと共に北京大使館の外郭団体・華北広報写真協会設立に協力する。

1945年(昭和20年)中国から東京に復員。翌、1946年(昭和21年)には連合国軍総司令部(GHQ)報道部の嘱託となる。1949年(昭和24年)秋山庄太郎稲村隆正らと日本青年写真家協会を結成する。1950年(昭和25年)INP社東京支局の写真部長となるが、人員縮小となったため退社しフリーカメラマンとなる。1951年(昭和26年)再刊されたアサヒカメラで世界の一流音楽家の連載写真を担当することとなり、以後、このシリーズは5年間連載された。1953年(昭和28年)秋山庄太郎、林忠彦らと共に二科会写真部の創立会員となる。

1970年(昭和45年)アイシンク社を設立し、以後8年間社長を務める。

1971年(昭和46年)12月より「お昼のワイドショー」(日本テレビ)の「美しき裸像の想い出」コーナーで応募してきた一般女性のヌード写真を撮影する企画に登場、お茶の間にも親しまれるようになる[2]。モデルへの応募は昭和50年の時点でトータル5000件以上、採用倍率は30倍となったが、撮影する大竹はかなり苦労していたという[3]

1974年(昭和49年)松本清張原作の『砂の器』が映画化(監督野村芳太郎、主演・加藤剛)された際に教授役で特別出演した。また、同じく松本清張原作の映画『わるいやつら』(監督・野村芳太郎、主演・松坂慶子)でも部長刑事役で特別出演した。

有名人の手相・人相などの運勢判断も行い、関連のテレビ出演や一般向けの著書も多数。

沼田早苗ミス・ユニバース日本代表だった織作峰子は、大竹の写真のモデルとなった後に大竹に師事し、その後写真家として独立した。

2003年(平成15年)二科会写真部理事長・創立会員となる。

2000年 (平成12年)以降、出身地である静岡県に多数の写真を寄贈。県は2015年(平成27年)現在320点の写真を収集・所蔵している[4]

2015年(平成27年)7月2日、心原性脳塞栓症のため死去[5][リンク切れ]。95歳没。9月3日に東京プリンスホテルでお別れの会が催された。

作品

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  • カメラと女 1948年 研光社
  • 世界の音楽家 1955年 朝日新聞社
  • 女の中のおんな(随筆集) 1969年 芸文社
  • ジャネット 1974年 日本カメラ社
  • 照る日曇る日 1976年 日本カメラ社
  • ファミリーヌード 1977年 朝日ソノラマ - 上記の「お昼のワイドショー」企画で撮影された写真をまとめた一冊。
  • 101人女の肖像 1982 年 講談社
  • 昭和写真全仕事 1983年 朝日新聞社
  • 遙かなる詩 1983年 桐原書店
  • 女性写真セミナー集 1987年 日本カメラ社
  • 新編 遙かなる詩 1993年 日本カメラ社
  • 少女亜美”大竹省二写真集 1993年 辰巳出版
  • Si-麻倉未稀 1993年 スコラ社
  • さすらい花-金沢明子写真集 1994年 竹書房
  • 昭和群像 1997年 日本カメラ社
  • 遙かなる鏡 1998年 東京新聞社
  • 赤坂檜町テキサスハウス(永六輔共著) 2006年 朝日新聞社

出演

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ドキュメンタリー
  • 「シンフォニー・ジャパン1961-2015 Symphony Japan」(2014年12月29日、BSジャパン)- 1961年に大竹が監督した海外向けの日本紹介映画「Symphony Japan」を紹介した[6]
テレビドラマ
映画

受賞歴

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関連項目

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外部リンク

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脚注

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  1. ^ 木山みずほ (2020年2月16日). “取材 大竹あゆみさん 「東京オアシス」木山インタビュー”. mizuho kiyama's home page. 2020年12月20日閲覧。
  2. ^ “さらば愛しき人よ 素人女性ヌードの美を極めたカメラマン、大竹省二さん 「人間知らねばよいものは撮れない…」”. 産経新聞. (2015年7月19日). https://www.sankei.com/article/20150719-4DR66VA53NJWRECYOV6XM3WMPE/2/ 
  3. ^ 『週刊新潮』新潮社、1972年2月20日。 
  4. ^ 「大竹省二写真展」5/11~6/29”. 静岡県立図書館 (2015年5月12日). 2021年2月21日閲覧。 “静岡県では、平成12年に大竹省二氏から作品の寄贈を受けたことをきっかけに、その後も多数の写真を収集し、現在320点を所蔵しています。”
  5. ^ 大竹省二さん死去 女性のポートレート、戦後の写真をリード スポーツニッポン 2015年7月6日閲覧
  6. ^ 平林猛 (2014年12月29日). “シンフォニー・ジャパン”. bosch~森たちのブログ. 株式会社ボス. 2020年12月18日閲覧。