大神山神社
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大神山神社 | |
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奥宮拝殿(国の重要文化財) | |
所在地 |
(本社)鳥取県米子市尾高1025 (奥宮)鳥取県西伯郡大山町大山 |
位置 |
(本社) 北緯35度25分03秒 東経133度24分22秒 / 北緯35.41750度 東経133.40611度 (奥宮) 北緯35度23分19秒 東経133度32分19秒 / 北緯35.38861度 東経133.53861度 |
主祭神 | 大己貴命 |
社格等 |
式内社(小) 伯耆国二宮 旧国幣小社 別表神社 |
本殿の様式 | (奥宮)権現造 |
札所等 | 出雲國神仏霊場9番 |
例祭 |
(本社)10月9日 (奥宮)9月24日 |
主な神事 | 神水汲取神事 |
地図 |
大神山神社(おおがみやまじんじゃ)は、鳥取県にある神社である。式内社、伯耆国二宮で、旧社格は国幣小社。伯耆大山山麓(米子市)の本社と山腹(西伯郡大山町)の奥宮とがある。
祭神
[編集]- 大穴牟遅神 - 本社
- 大己貴命 - 奥宮
どちらも大国主神の別名である。
歴史
[編集]当社の奥宮は、大山に登った修験者が、海抜900mほどの場所に簡易な遥拝所を設置したのが起源とされている[1]。伯耆大山は、平安時代には修験道場として著名な山となっていたが、積雪により祭事に支障が生じるため、麓に冬宮を設置し、冬期はそこで祭事を行うようになった[1]。これにより、現在の「奥宮」は「夏宮」と呼ばれるようになった[1]。
大山は神体山として、大己貴命が鎮まるとされたが、神仏習合が広まると、当社は智明権現と称し、地蔵菩薩を本地仏とするようになった[1]。その後、三院にして百八十坊の規模となり、三千人の僧兵を擁するようになった[1]。
『勝見名跡誌』には伯耆大山の智明大権現と因幡・鷲峰山の鷲岸大明神が仲が悪く戦をしたとの伝承が載っている。元弘3年(1333年)、隠岐を脱出した後醍醐天皇が当社で鎌倉幕府打倒の祈願を行った。
明治8年(1875年)、神仏分離によって大山寺を廃し(大山寺は後に再興)、冬宮を本社とし、山腹の智明権現の仏塔を廃し、地蔵菩薩を除いて、奥宮とした[1]。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 大神山神社奥宮 2棟
- 本殿・幣殿・拝殿(1棟)
- 末社下山神社本殿・幣殿・拝殿(1棟)
- 短刀 銘備州長船住兼光(附:金熨斗付合口拵)
登録有形文化財
[編集]- 石の大鳥居[2]
県指定有形文化財
[編集]- 奥宮神門[3]
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奥宮本殿(右)・幣殿(左)
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奥宮拝殿
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末社下山神社
脚注
[編集]関連図書
[編集]- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、15頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、67頁
外部リンク
[編集]- 大神山神社(公式サイト)