大炊御門冬輔
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 宝治2年(1248年) |
死没 | 不詳 |
官位 | 正二位、権中納言 |
主君 | 後深草天皇→亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇 |
氏族 | 大炊御門家 |
父母 | 父:大炊御門冬忠、母:藤原資季の養女? |
兄弟 | 信嗣、冬輔、氏嗣、忠覚、観円、女子[1] |
子 | 定助、忠藤 |
大炊御門 冬輔(おおいのみかど ふゆすけ)は、鎌倉時代中期の公卿。内大臣・大炊御門冬忠の二男。官位は正二位・権中納言。
経歴
[編集]- 建長5年(1253年)1月5日 叙爵
- 建長6年(1254年)1月5日 叙従五位上[2]
- 建長8年(1256年)1月26日 任侍従。同年7月20日、叙正五位下。
- 正嘉元年(1257年)9月8日 任左少将
- 正嘉2年(1258年)1月13日 兼加賀権介
- 正元元年(1259年)1月6日 叙従四位下[3]。同月21日、還任。同年11月21日、叙従四位上[4]。
- 文応元年(1260年)6月14日 転右中将。同年11月15日、叙正四位下。
- 弘長元年(1261年)10月1日 転左中将[5]
- 弘長2年(1262年)7月23日 右中将に移る[6]。同月12日、禁色を許される。
- 文永7年(1270年)11月17日 叙従三位。右中将は元の如し。
- 文永8年(1281年)2月1日 兼美濃権守
- 文永9年(1272年)1月5日 叙正三位
- 文永11年(1274年)4月5日 任参議、兼右中将美濃権守。
- 文永12年(1275年)1月18日 兼周防権守
- 建治3年(1277年)1月5日 叙従二位[7]。同年9月13日、任権中納言。
- 弘安元年(1278年)3月23日 帯剣を許される
- 弘安4年(1281年)1月5日 叙正二位
- 弘安9年(1286年)9月2日 権中納言を辞退
- 延慶元年(1308年)薨去または出家か[8]