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大澤毅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおさわ つよし

大澤 毅
『名古屋穀物商品取引所十年史』(1967年)
掲載肖像
生誕 1921年8月21日[1]
日本の旗 日本 愛媛県[1]
死没 2011年秋(90歳没)[2]
出身校 愛媛県立西条中学校[1][3]
職業
肩書き
  • 大阪物産株式会社 代表取締役[3]
  • 中央商品株式会社 代表取締役[3]
  • 株式会社丸物 代表取締役[3]
  • 有限会社マルブツ 代表社員[3]
  • オールジャパンガード株式会社 代表取締役[3]
  • 名古屋穀物商品取引所 元理事[3]
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大澤 毅(おおさわ つよし、1921年8月21日[1] - 2011年[2])は、日本実業家馬主

経歴

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1921年愛媛県出身[1][3]1939年旧制愛媛県立西条中学校を卒業[3]1960年に名古屋穀物商品取引所取引員となる[3]1961年、名古屋大阪物産を設立[1]。翌年に大阪物産と改称している[1]1964年には商用で東南アジアへ、1965年には中華人民共和国へと渡った[1]。同年名古屋穀物商品取引所理事に就任[3]1970年にオールジャパンガード代表取締役[3]2011年のに死去[2]。90歳没。

馬主活動

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大澤の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録した馬主としても知られた。勝負服の柄は赤、水色一本輪、黄袖[注 1]冠名には「マルブツ」を用いたが、ブリリアントロードなど冠名のない馬もいた。2011年に死去した後は親族の大澤利久が馬主活動を継続している[2]

1970年には、競馬で獲得した賞金の課税上の扱いをめぐり税務署を提訴したことで注目された[4]。なお、経営していたオールジャパンガードの契約先には中京競馬場名古屋競馬場弥富トレーニングセンターなどがあった[3]

主な所有馬

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「赤,水色一本輪,袖黄縦縞」を使用した、ウイニングチケットなどの馬主である太田美實(美實の没後は妻の珠々子)の勝負服とよく似ている。このことについて美實は、『競馬ブック』2008年6月8日号のインタビュー記事内で「マルブツさんのとよく似ているから、時々間違える」と述べている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『産経日本紳士年鑑 第9版 上』412頁
  2. ^ a b c d 水野隆弘 (2013年3月11日). “『ボアソルチからタサハラへ』”. 競馬ブックコーナー. 東西編集局リレーコラム. 競馬道Online. 2024年12月5日閲覧。 “「マルブツ」の大澤毅さんも一昨年の秋に亡くなった(注:2013年の記事のため、一昨年=2011年となる。)”
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『全国主要警備会社名鑑』1982年版 87頁
  4. ^ 「サークルだより 賞金は事業所得だと訴訟」『優駿』、日本中央競馬会、1970年6月、76頁。 

参考文献

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  • 『産経日本紳士年鑑 第9版 上』(産経新聞年鑑局、1970年)
  • 『全国主要警備会社名鑑』1982年版(警備評論社、1982年4月)
  • 優駿』1970年6月号(日本中央競馬会、1970年5月)