大森勝長
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大森 勝長(おおもり かつなが、明暦2年(1656年) - 正徳2年2月26日(1712年4月1日))は、江戸時代の武士、旗本。初名は元友。通称は忠六郎、彦大夫、八郎右衛門、半七郎。父は鳥居忠春(鳥居成次二男)。母は安藤正珍の娘。大森好輝の養子になり、その娘を妻とした。徳川家綱に仕える。養子に大森時長(土屋正敬三男)がいる。時長は、使番、目付、長崎奉行(1732年-1734年)など務めた。
生涯
[編集]延宝6年(1678年)小姓組番士、小姓組青山信濃守組に番入りした。延宝8年(1680年)蔵米300俵賜る。その後、大森好輝の嫡子が早世したため、好輝の養子になった。貞享元年(1684年)大森の遺跡を継ぐ(先の蔵米300俵は返上)。貞享5年(1689年)9月、江戸城桐之間番を命じられるが、同年10月、小姓組への帰番を命じられた。元禄5年(1692年)小川町の拝領屋敷を木挽町丹羽遠江守屋敷との相対替えし、木挽町へ移ることになった。宝永2年(1705年)甲斐国山梨郡、八代郡の知行700石は上知され、替わりに駿河国富士郡大岩村、上中里村内に700石を賜った。正徳2年(1712年)2月26日死去。享年57。葬地は江戸小日向清巌寺である。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜. 第2輯』、國民圖書、1923年、725頁、国立国会図書館デジタルコレクション。
- 『入間市史 通史編』、入間市史編纂室、1994年、354頁。