大恩寺 (豊川市)
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大恩寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 愛知県豊川市御津町広石御津山5 |
位置 | 北緯34度49分14秒 東経137度18分38秒 / 北緯34.82056度 東経137.31056度座標: 北緯34度49分14秒 東経137度18分38秒 / 北緯34.82056度 東経137.31056度 |
山号 | 御津山 |
院号 | 浄土真院 |
宗派 | 浄土宗鎮西派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不明 |
開基 | 伝・慧灌 |
正式名 | 御津山 浄土真院 大恩寺 |
札所等 | 法然三河7番、穂の国9番 |
文化財 | 絹本著色王宮曼荼羅図(重要文化財)、山門、蓮の図、阿弥陀廿五菩薩来迎図、木造阿弥陀如来坐像(県文化財) |
法人番号 | 1180305003753 |
大恩寺(だいおんじ)は、愛知県豊川市御津町御津山山麓にある浄土宗の寺院。山号は御津山。院号は浄土真院。本尊は阿弥陀如来。
歴史
[編集]創建年代については不明であるが、百済の僧慧灌によって新宮山(豊川市御津町広石新宮山)に創建された浄土院に始まるという。
室町時代にはいり1477年(文明9年)松平氏宗家第四代松平親忠の開基、増上寺開山聖聡の弟子で弘経寺(茨城県常総市豊岡町)2世だった了暁(りょうぎょう)慶善の開山により新宮山に中興されて浄土宗に改められた。また、寺号は新宮山大運寺と改められた。
その後松平親忠により現在地の御津山に移され[1]、1493年(明応2年)には紫衣の着用が許された。
開山の了暁からは、松平親忠の第四子存牛(浄土宗総本山知恩院25世)や、徳川将軍家菩提寺大樹寺(愛知県岡崎市鴨田町)を開山した愚底(知恩院23世、弘経寺での了暁の門弟)、珠琳(知恩院22世)、訓公(知恩院24世)などが学んだ。
松平氏や、牛久保城(豊川市牛久保町)城主三河牧野氏の帰依を得、松平氏に大恩があったとし、徳川家康の父松平広忠により、大恩寺と改称された。
江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられ、寺周辺の宝飯郡広石村103石1斗4升4合が寺領であった。
寛文12年(1672年)、牧野忠成の娘を正室とした第四代大垣藩主戸田氏信により山門の寄進を受ける[2]。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 絹本著色王宮曼荼羅図[3]
愛知県指定文化財
[編集]焼失した重要文化財
[編集]脚注
[編集]- ^ 大恩寺浄土宗
- ^ 大恩寺豊川市観光協会
- ^ 絹本著色王宮曼荼羅図 文化財ナビ愛知
- ^ 『仏画強盗の韓国人逮捕へ=手配中に本国で身柄確保-愛知県警』(プレスリリース)時事通信、2008年5月27日 。[リンク切れ]
- ^ 韓国で確保の韓国人男を逮捕へ 仏画狙った強盗致傷容疑 愛知県警(2014年4月23日時点のアーカイブ) MSN産経ニュース 2014年4月22日
- ^ 文化財ナビ愛知
- ^ “大恩寺山門(だいおんじさんもん)”. www.pref.aichi.jp. 2023年4月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 大恩寺(豊川市観光協会HP内)