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大平国祐

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大平国祐
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文7年(1538年
死没 慶長8年7月4日1603年8月10日
改名 多聞麻呂(幼名)→国祐
別名 大比羅國祐
戒名 仁勇院殿雲風礼心大居士
官位 伊賀守
主君 仙石秀久
氏族 大平氏
父母 父:大平国雅、母:大西長清娘・妙春
兄弟 国祐国久国秀など
香川元景娘・妙通
主膳、国常、宥寅、細川信之室、寅瓊、宥犠、国蔵、国慶、教円、国則国茂貞景ほか
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大平 国祐(おおひら くにすけ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将

生涯

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大平氏讃岐国(西讃)の国人藤原秀郷(俵藤太)の末裔で、藤原氏流近藤氏族。土佐国七国人(土佐七雄)の大平氏とは同族。

天文7年(1538年)、大平国雅の子として誕生。

永禄5年(1562年)4月 土佐吾川郡弘岡城にて長宗我部元親に敗れ、香川之景(信景)を頼り讃岐多度郡中村に入る。後に姫郷を領す[1]。永禄6年(1563年)、善通寺合戦において、斉藤師郷、香川左馬助、香川伊勢守、朝比奈弥太郎、秋山良泰、三野菅左衛門尉などと香川之景の居城・天霧城の守護を担う[2]元亀3年(1572年) 讃岐姫郷和田村獅子ヵ鼻[3]に築城。本城主となる。

天正元年(1573年)、切山尾藤小四郎(土釜十郎平知重)と合戦[4]。金倉合戦において、大将として香川元春三野菊右衛門栄久と共に金倉郷に出兵、金倉氏を滅ぼした。天正6年(1578年)、長宗我部元親の讃岐侵攻で獅子ノ鼻城が落城する[5]。天正13年(1585年羽柴秀吉の命を受けた讃岐領主・仙石秀久に侍大将として仕える。

天正14年(1586年島津氏との戸次川の戦いに讃岐勢として出兵するが敗北、嫡男・国常が家臣・加地又五郎、合田助十郎と共に討死。享年18。天正15年(1587年)頃、城を出て、舎人(家人)の下に身を寄せたと伝う。晩年は真言宗を信仰とも伝う。天正19年(1591年和泉国日根郡在部清味という軍書作家が、大平家に取材に来る。

慶長8年(1603年)7月4日、高松槌之戸で入海[6]死去。享年66。辞世の句「石見かた 高津の松の 風折の 却て藤に 懸りけぬかな」。

元和8年(1622年)3月 大平家舎人祐甫が回顧録を残す。

讃岐大平子孫家に伝わる古鏡箱に描かれた家紋(木瓜五鐶に三つ巴)

仏教との関わり

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天正元年(1573年)、土佐中村普門寺が長宗我部氏により焼かれた際、普門寺の僧・月海が国祐を慕い頼り、観音菩薩像を背負い姫郷を目指す。国祐は天正3年(1575年)4月に大悲谷聖観世音菩薩堂を建立した。天正5年(1577年) 、尊母と共に上洛した帰途、高松槌之戸で遭難の危機に遭う。鵜之足浦に着岸した事により国祐はこれ以後法華経を厚く信仰すると伝わっている。

天正6年(1578年)3月に真言宗の光明山毘盧遮那寺を廃寺とし、5月には法華宗雲風山国祐寺[7]を建立する。10月には日現[8]を境妙国寺より迎えている。天正7年(1579年)、番神宮を建立した。天正8年(1580年)7月、大悲谷観世音縁起が完成する[9]。天正9年(1581年)、国祐寺にて日蓮像入佛供養を行う。天正10年(1582年) 雲風山国祐寺縁起が完成[10]

国祐死後の宝暦12年(1762年)5月13日、国祐寺十五世・日豊が雲風山国祐寺縁起の写しを作成している(雲風山国祐寺略縁起)。

系譜

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脚注

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  1. ^ 大平氏系図によると吾川郡弘岡城主とあるが、吉良氏居城として伝わるので不明な点がある。朝倉城との説もある。
  2. ^ 南海治乱記などでは、善通寺陣は永禄元年との記載がある。永禄元年には、国祐は土佐吾川郷に居たのであるから年号が合わない。元々、父国雅は香川氏の配下にあり、弟の国久や国秀なども麻や財田に居たので、その辺りの大平という説もある。
  3. ^ 香川県観音寺市豊浜町
  4. ^ 尾藤小四郎は重症で帰郷、後に怪我が元で死去。
  5. ^ 落城したことが定説とされるが国祐寺建立の同じ年であり、矛盾があるとも。また、大平家舎人祐甫回顧録によると、戸次川合戦の後、廃城とも見える。
  6. ^ 没落を悲しんでの入水自殺と伝わる。
  7. ^ 現在の香川県観音寺市豊浜町。
  8. ^ 国祐寺初代住職。
  9. ^ 月盈拝書 月海門人。
  10. ^ 日現拝書。
  11. ^ 国雅の母は三好婦楽之息女妙厳。
  12. ^ 備中守、川之江轟城主。

出典

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  • 雲風山国祐寺縁起
  • 雲風山国祐寺略縁起
  • 大悲谷観世音菩薩縁起
  • 南海治乱記
  • 四国太平記
  • 西讃府誌
  • 三豊郡史
  • 豊浜町誌
  • 高瀬町誌
  • 川之江市誌
  • 新長谷寺縁起
  • 直井武久著「丸亀の歴史散歩」(1982年初版刊行、1988年第3版) など