大川市立大野島小学校
表示
大川市立大野島小学校 | |
---|---|
北緯33度11分47.6秒 東経130度21分11.4秒 / 北緯33.196556度 東経130.353167度座標: 北緯33度11分47.6秒 東経130度21分11.4秒 / 北緯33.196556度 東経130.353167度 | |
過去の名称 |
江南小学校 大野島小学校 簡易大野島小学校 大野島尋常小学校 (尋常科4年) 大野島尋常高等小学校 (尋常科4年・高等科2年) 大野島尋常小学校 (尋常科6年) 大野島尋常高等小学校 (尋常科6年・高等科2年) 大野島村国民学校 大野島村立大野島小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大川市 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)6月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制(2024年度から) |
学校コード | B140221200089 |
所在地 | 〒831-0045 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大川市立大野島小学校(おおかわしりつ おおのしましょうがっこう)は、福岡県大川市大野島にある市立の小学校。
学校行事で、南部にある佐賀県佐賀市立大詫間小学校と交流を行っている。
概要
[編集]- 学校教育目標
- 「志をもって意欲的に学び、心豊かに、たくましく生きる子どもの育成」
- 校歌
- この節の加筆が望まれています。
- 通学区域
- 大川市行政区名による「大野島東町、大野島北町、大野島中町、大野島西町、大野島南町」。中学校区は大川市立大川桐英中学校[1]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1873年(明治6年) 6月 - 大角宮前の旧柳川藩の米倉を借用の上、校舎として「江南小学校」が創立。
- 1885年(明治18年)- 五家に校舎を新築の上、「大野島小学校」に改称。
- 1886年(明治19年)4月 - 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易大野島小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、「大野島村」が発足。
- 1892年(明治25年)4月 - 校舎を再び大角宮前に移し、「大野島尋常小学校」(4年制)に改称。
- 1903年(明治36年)4月 - 大下(おおじも)に分教場を設置。
- 1907年(明治40年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「大野島尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科2年)に改称。藁葺き校舎1棟が完成。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に改められる。旧高等科1年を新尋常科5年に、旧高等科2年を新尋常科6年とする。これにより、「大野島尋常小学校」(6年制)に改称。
- 1911年(明治44年)4月 - 高等科を併置の上、「大野島尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。藁葺き校舎1棟を増築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「大野島村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1943年(昭和18年)- 木造2階建て校舎が完成。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1953年(昭和28年)8月 - 中学校の独立校舎が完成したため、併設を解消。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 三潴郡1町(大川)5村(三又・田口・川口・木室・大野島)の合併により、「大川市」が発足。これにより「大川市立大野島小学校」(現校名)に改称。
- 1957年(昭和32年)10月 - 木造新校舎(8教室等)が完成。
- 1959年(昭和34年)6月 - 講堂が完成。
- 1960年(昭和35年)5月 - 大川市立中学校2校(大野島・川口)の統合により、中学校区が大川市立大川南中学校となる。
- 1964年(昭和39年)7月 - プールが完成。
- 1967年(昭和42年)7月 - 運動場南側を拡張。
- 1976年(昭和51年)11月 - 鉄筋コンクリート造3階建て新校舎の建設に着手。
- 2020年(令和2年)4月 - 大川市立中学校2校(大川南・大川)の統合により、中学校区が大川市立大川桐英中学校となる。
- 2024年(令和6年)4月 - 大川市立小学校で2学期制が導入される[2]。
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りの幹線道路
周辺
[編集]- 筑後川総合運動公園体育センター
- 大川市弓道場
- 大野島コミュニティセンター
- 大野島郵便局
- 大野島漁協
- 堤防用水記念碑と解説板
- 筑後川
脚注
[編集]- ^ 「大川市立小中学校の通学区域を定める規則」
- ^ 「市内小学校の2学期制実施」 - 大川市ウェブサイト