大川市立三又小学校
表示
大川市立三又小学校 | |
---|---|
北緯33度13分52.3秒 東経130度23分21.7秒 / 北緯33.231194度 東経130.389361度座標: 北緯33度13分52.3秒 東経130度23分21.7秒 / 北緯33.231194度 東経130.389361度 | |
過去の名称 |
三又尋常小学校 三又尋常高等小学校 三又村国民学校 三又村立三又小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大川市 |
併合学校 |
簡易中古賀小学校 簡易鐘ヶ江小学校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B140221200034 |
所在地 | 〒831-0006 |
福岡県大川市中古賀110番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大川市立三又小学校(おおかわしりつ みつまたしょうがっこう)は、福岡県大川市中古賀にある市立の小学校。
概要
[編集]- 学校教育目標
- 「自ら学び 豊かな心で 明るく健康的な子どもの育成」
- 校章
- 「又」の文字を3つ組み合わせて校名の「三又」を表し、中央に「小」の文字を配している。
- 校歌
- この節の加筆が望まれています。
- 通学区域
- 大川市行政区名による「鐘ケ江町、川端通町、中古賀北町、中古賀南町、下青木町、諸富町、下林町」。中学校区は大川市立大川桐英中学校[1]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1874年(明治7年)4月 - 下林、諸富、中古賀、鐘ヶ江に4年制の下等小学校が設置される。上青木に上等小学校が設置される。
- 1879年(明治12年)- 上青木に本校を置き、鐘ヶ江と中古賀に分校を、下林と諸富に出張所を設置。
- 1886年(明治19年)4月 - 小学校令の施行により、以下の統合を実施。
- 諸富・下林・中古賀の分校3校を統合の上、「簡易中古賀小学校」(3年制)とする。中古賀上中小路に校舎を新築。
- 鐘ヶ江分校を「簡易鐘ヶ江小学校」(3年制)とする。
- 高等小学校進学希望者は「高等榎津小学校」に通学することとなる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、三潴郡中古賀村、鐘ケ江村(字溝越の内を除く)、道海島村、下林村、酒見村(一部、字袋野)、下青木村(一部、字沖田・佐ノ口・北境・南境・青木分・六反田・吉竹・知字)、西青木村(一部、字沖田)、諸富村が合併の上、「三又村」が発足。
- 1892年(明治25年)- 上記2校の簡易小学校(中古賀・鐘ヶ江)を統合の上、尋常科を設置し、「三又尋常小学校」(4年制)となる。下林地区の児童は交通不便のため、ほとんどが青木尋常小学校に通学する。
- 1895年(明治28年)7月 - 暴風雨により、校舎が倒壊。間もなく仮校舎が建設される。
- 1898年(明治31年)- 現在地に移転を完了。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。児童数の増加により、校舎の増改築を実施。
- 1911年(明治44年)4月 - 高等科を併置の上、「三又尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
- 1933年(昭和8年)- 新校舎が完成。運動場を拡張。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「三又村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 三潴郡1町(大川)5村(三又・田口・川口・木室・大野島)の合併により、「大川市」が発足。これにより「大川市立三又小学校」(現校名)に改称。
- 1955年(昭和30年)8月 - 第3棟2階建て6教室が完成。
- 1960年(昭和35年)4月 - 中学校敷地内に小中共用のプールが完成。
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りの幹線道路
- 福岡県道99号大川大木線 「三又小中学校入口」交差点
- 福岡県道765号鐘ヶ江酒見間線「中古賀交差点」
周辺
[編集]- 大川市三又コミュニティセンター
- 旧・大川市立三又中学校跡
- みつまた幼稚園
- 筑後川