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大川寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大川 寛
基本情報
本名 小川 寛[1]
階級 フェザー級
ライト級
ジュニアライト級(獲得順)
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1933-02-21) 1933年2月21日
出身地 千葉県山武郡片貝町
死没日 (2011-03-22) 2011年3月22日(78歳没)[2]
スタイルボクサー
プロボクシング戦績
総試合数 116[1]
勝ち 75
KO勝ち 27
敗け 23
引き分け 4
無効試合 1ND(無判定試合)[* 1]
13EX
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大川 寛(おおかわ ひろし、1933年2月21日 - 2011年3月22日)は、日本の元プロボクサー。本名は小川 寛(おがわ - )。戸籍上の出生地は千葉県山武郡片貝町であり、出身地は東京都台東区浅草[2]。元日本フェザー級(2度獲得)・ライト級OBF東洋ライト級・ジュニアライト級王者。現役時代は共栄ジム(後の極東ボクシングジム、現在の極東ボクシングクラブ)所属[2]。大川ボクシングジムを開設し、その初代会長を務めた。

人物

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脚が長く均整のとれた体を持ち、左右のフックやスピードのある右ストレートを武器に3階級5王座を制覇した技巧派である[3]

極東ジムが秋山政司、大越利晴といった日本王者らを抱えて全盛期を迎えていた当時、後に精密機械と言われる世界王者沼田義明を育てた小高伊和夫会長の愛弟子であった大川が本名の小川を変えて戦ったのは、心臓が小さいのは名前からきていると小高会長が案じたためであった[3]

試合経験が豊富でピストン堀口花田陽一郎辰巳八郎、秋山政司に次いで100戦あまりを戦ったが、ボクシングがやや消極的な代わりにクリンチ技術に長け[1][3]、23敗のうちKO負けは3度にとどまった。

来歴

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プロ

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1948年1月31日、プロデビュー戦で判定勝利を収めた。

1954年3月13日、田中昇に3RKO勝利を収めて日本フェザー級王座を獲得。中西清明に判定負けを喫して7度目の防衛に失敗したが、約8か月後の1957年4月19日、中西との通算4度目の対戦で王座を奪い返した。

1956年6月28日、金子繁治の持つOBF東洋フェザー級王座に挑戦したが、判定負けを喫して唯一の王座挑戦失敗となった。

東京都世田谷区松原に所在した大川ボクシングジムの外観。京王線高架化工事に伴う立退きにより、2013年12月27日をもって閉鎖された

1957年8月4日、小林秀人を判定で下して日本ライト級王座を獲得。9日後の8月13日、OBF王座挑戦のために同王座を返上した。

同年11月20日、オムサップ・ラエムファバーに9RKO勝利を収めてOBF東洋ライト級王座を獲得。1度防衛後の翌1958年3月2日、フィリピンの英雄と言われたフラッシュ・エロルデに判定負けとなって同王座を失い、同年6月17日、高山一夫に判定負けを喫して日本フェザー級王座を失った。

1960年6月30日、東洋(後の東洋太平洋)ボクシング連盟が新設したジュニアライト級の初代王座を決定戦勝利により獲得。1961年5月4日、キリサク・バーボスの右フックを顔面に受けて2度目の防衛に失敗。この試合を最後に現役を引退した。

引退後

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広告代理店を営み、1962年3月13日に自ら開設した大川ボクシングジムで会長を務め、プロ13戦目で第34代日本ライト級王座を獲得した大友巌(1987年度プロ・アマチュア年間表彰プロ部門KO賞受賞、1988、1989年度同努力賞受賞)、45歳でプロとしてKO勝利を収めた第19代日本スーパーバンタム級王者横田広明(1990、1991、1993年度同努力賞受賞)らの選手を育てた。大川ジムは2011年現在、日本プロボクシング協会には加盟していないが、大友巌らコーチの指導でザ・おやじファイトへの参加者などがトレーニングをしている[4]

2011年3月22日、肝癌のため、自宅で死去した[2]

戦績

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プロボクシング:116戦75勝 (27KO) 23敗4分1ND13EX[* 2]

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
26 1952年3月1日 敗北 6R 判定 金子繁治 (笹崎) 日本の旗 日本
30 1952年7月16日 敗北 8R 判定 中西清明 (坂口) 日本の旗 日本
42 1954年3月13日 勝利 3R KO 田中昇(京浜) 日本の旗 日本 日本フェザー級タイトルマッチ
43 1954年4月21日 敗北 10R 判定 フラッシュ・エロルデ フィリピンの旗 フィリピン
51 1954年10月15日 勝利 10R 判定 小林秀人 (協和) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座防衛1
53 1955年2月16日 勝利 10R 判定 田中昇 (京浜) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座防衛2
55 1955年4月13日 勝利 10R 判定 赤沼明由 (革新) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座防衛3
57 1955年8月17日 勝利 10R 判定 大久保邦衛 (秀和) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座防衛4
59 1955年10月8日 勝利 10R 判定 笹崎義弘 (笹崎) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座防衛5
61 1956年1月6日 勝利 10R 判定 中西清明 (AO) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座防衛6
63 1956年6月28日 敗北 12R 判定 金子繁治 (笹崎) 日本の旗 日本 OBF東洋フェザー級タイトルマッチ
64 1956年8月30日 敗北 10R 判定 中西清明 (AO) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座陥落
69 1957年4月19日 勝利 10R 判定 中西清明 (AO) 日本の旗 日本 日本フェザー級タイトルマッチ
73 1957年8月4日 勝利 10R 判定 小林秀人 (協和) 日本の旗 日本 日本ライト級タイトルマッチ/返上
75 1957年11月20日 勝利 9R KO オムサップ・ラエムファバー タイ王国の旗 タイ OBF東洋ライト級タイトルマッチ
76 1958年1月5日 勝利 9R KO オムサップ・ラエムファバー タイ王国の旗 タイ OBFライト級王座防衛1
78 1958年3月2日 敗北 12R 判定 フラッシュ・エロルデ フィリピンの旗 フィリピン OBFライト級王座陥落
80 1958年6月17日 敗北 10R 判定 高山一夫 (帝拳) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座陥落
95 1960年6月30日 勝利 12R 判定 ソムキャット・キャットムアジョン タイ王国の旗 タイ OBF東洋ジュニアライト級王座決定戦
98 1960年11月23日 勝利 8R KO ギル・フローレス フィリピンの旗 フィリピン OBFジュニアライト級王座防衛1
102 1961年5月4日 敗北 12R 判定 キリサク・バーボス フィリピンの旗 フィリピン OBFジュニアライト級王座陥落
テンプレート

獲得タイトル

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  • 第7代日本フェザー級王座(防衛6)
  • 第9代日本フェザー級王座(防衛0)
  • 第10代日本ライト級王座(獲得返上)
  • 第10代OBF東洋ライト級王座(防衛1)
  • 初代OBF東洋ジュニアライト級王座(防衛1)
受賞歴
  • プロ・アマチュア年間表彰
    • 1955年度プロ部門努力賞
    • 1957年度プロ部門努力賞
    • 1960年度プロ部門努力賞

注釈

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  1. ^ ND(no decision; 無判定試合)は20世紀初頭のアメリカで多く行われた、KO以外には勝敗をつけない試合形式をいうが、日本にはNDの裁定基準はない[5]
  2. ^ 日本ボクシングコミッション設立以前の試合を多く含むため資料版元により数値に差があり、他に72勝 (24KO) 23敗3分13EX[3]など。

参考文献

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  1. ^ a b c ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日 ISBN 4-583-03784-8、115頁。
  2. ^ a b c d 元日本・東洋チャンピオン大川寛さん死去”. ボクシングニュース「Box-on!」 (2011年3月27日). 2011年3月27日閲覧。
  3. ^ a b c d 朝熊伸一郎 「三階級男 大川寛」『ワールド・ボクシング』7月号増刊、日本スポーツ出版社、1993年7月31日 共通雑誌コードT1009804071109 雑誌09804-7、95頁。
  4. ^ ジムの紹介 京王線 明大前の大川ボクシングジム”. 大川ボクシングジム (2011年). 2011年3月21日閲覧。
  5. ^ 「ボクシング用語辞典 - ノー・デシジョン」『ボクシング・マガジン3月号増刊 平成12年日本ボクシング年鑑』 日本ボクシングコミッション/全日本ボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2000年3月31日 第30巻第4号 通巻392号 共通雑誌コードT1108034031508 雑誌08034-3、22頁。

関連項目

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外部リンク

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前王者
田中昇
第7代日本フェザー級王者

1954年3月13日 - 1956年8月30日

次王者
中西清明
前王者
中西清明
第9代日本フェザー級王者

1957年4月19日 - 1958年6月17日

次王者
高山一夫
前王者
小林秀人
第10代日本ライト級王者

1957年8月4日 - 1957年8月13日(返上)

空位
次タイトル獲得者
石川圭一
前王者
オムサップ・ラエムファバー
第10代OBF東洋ライト級王者

1957年11月20日 - 1958年3月2日

次王者
フラッシュ・エロルデ
前王者
-
初代OBF東洋ジュニアライト級王者

1960年6月30日 - 1961年5月4日

次王者
キリサク・バーボス