大島てる
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 東京都新宿区筑土八幡町6番7号[1] |
設立 |
1837年(天保8年) ※創業[2] |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 4010701015837 |
事業内容 |
事故物件の公示 使い捨ての違法看板の撤去[3] 落選運動[3] |
代表者 | 大島 学 |
外部リンク |
www |
大島てる(おおしまてる)は、事故物件の情報提供ウェブサイト、およびそれを運営する日本の企業である。運営代表者の個人名としても使用する。
概要
[編集]「大島てる」という社名および代表者(本名:大島 学〈おおしま まなぶ〉)の個人名は、大島の祖母の名前から取っている。事故物件情報サイト「大島てる」の開設は2005年(平成17年)である[4]。会社としての「大島てる」は、もともと祖母が所有していた東京都内のアパートの賃貸不動産の手数料の5% - 10%ほどを仲介不動産業者が何もせずに取得することから、大島が不動産業への不信感を抱き、仲介業者を介さない不動産賃貸業務を行おうと志して始めた企業である。
サイト内の事故物件の定義としては、殺人事件、自殺、火災などの事件・事故で死亡者の出た物件としており、対象となる物件(宿泊施設を含む)の住所や部屋番号、元入居者の死因を公開している。不動産業者が、不動産会社が事故物件を不正に隠していることや不当に不動産業者が仲介手数料を取得していることから、賃貸・分譲物件の適正化を信念として持つようになった。[5][注 1]。
起業当初は不動産の賃貸業務が中心であった。競売物件を格安で落札し、10個以上の不動産の賃貸収入で成り立っていた企業である。当時は、敷金礼金0円、部屋のリフォームなど自由に行い、家賃も5万円以内などの格安で、中国人やアフリカ人の留学生などに貸出を行っていた。しかし、賃貸不動産業務は徐々に縮小して所有不動産を売却、現在では賃貸不動産業務は行っていない。その後、不動産サイトの大島てるは事故物件サイトへと変貌していった。このサイトについては、当初対象地域を東京都内および近郊に設定していたが、現在は日本全国及び日本国外の一部まで広げている。 情報は無料公開しており、サイトの広告及び大島てるのメディア出演などで収益を得ている。
株式会社大島てるの関連会社として大島ぬい事務所があり、船舶の売買を行っている(「株式会社大島てる」の現会長であり海事代理士でもある大島が兼務)。ただし、現在は船舶の売買や海事代理士業務は行っていない。
活動手法
[編集]常勤社員は情報発信を担うIT専門職と情報収集を担う担当者によって運営され、常設の事務所はなく、多数の協力者に支えられている[4]。
情報収集の手法としては、他殺の場合は新聞等のメディアで事件情報を収集、裁判を傍聴し、起訴状の公訴事実により、住所等を特定し、現地での聴きこみにより、裏付けを取る。自殺の場合は調査が難しい事から、サイト利用者等、外部からの情報提供により、独自取材を行なっている[6]。
会長プロフィール
[編集]「広報官」[4]を自称する代表取締役会長の大島てる(本名:大島 学〈おおしま まなぶ〉)は、1978年(昭和53年)3月16日生まれ[7]。東京都出身。父親は東京理科大学名誉教授の大島広行。東京大学卒業で、アメリカとオーストラリアで3歳から7歳までを過ごす[8]。小学校六年生の時、母が病死し、祖母に育てられる[8]。1996年(平成8年)巣鴨高校卒業[9]、駿台予備校で1年間の浪人生活を送り、東京大学経済学部卒業後、コロンビア大学を経ずに、コロンビア大学院に入学した。
なお、兵庫県知事の斎藤元彦は、東京大学時代の同窓生である[10]。
当時は、東京大学は、アメリカの一流大学からすると「短大」のような位置づけであり、コロンビア大学を経ずに東京大学卒業からコロンビア大学院に進学することは、1年に1人しかいない快挙であった。大学院中退[11]。理由として、経済学を極めており、経済学者は「いんちき」であると悟り、祖母の死後により、日本の賃貸不動産業界を強く変えたいという正義感から、経済学の道を捨て、日本の不動産の変革を決意した。留学中に同時多発テロ事件が発生し、「当時ニューヨークのビルが崩れ去るのを見て衝撃を感じており、涙を流している。」[8]。
部屋で死体遺棄事件があったと「大島てる」に掲載された横浜市内のマンションの所有者から「掲載内容は事実無根で名誉毀損にあたる」と横浜地方裁判所に民事訴訟を提起され、当該情報の削除や謝罪広告などを求められた事もあるが、被告は代理人弁護士を付けない「本人訴訟」で勝訴した[12][13]。判決確定後、原告のマンション所有者から「50万円払うから、情報を削除してくれ」と要求されたが、「内容が誤っているという指摘であれば、もちろん訂正するが、それ以外には応じない」との理由で断った[3]。
事業内容の一つに「落選運動」を掲げていたが、「一応そう書いているだけです。仕事として成り立っているわけではない。」と説明し、この業務は休止すると発言した[14]。
メディア出演
[編集]テレビ
[編集]- ダラケ! 〜お金を払ってでも見たいクイズ〜(BSスカパー、2019年6月6日)
- 怪談のシーハナ聞かせてよ。(エンタメ~テレ 第1期 47)
- 爆報! THE フライデー(TBS)
- それって!?実際どうなの課(中京テレビ)
- 巷のウワサ大検証!それって実際どうなの会(TBS)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「株式会社大島てるの情報」『法人番号公表サイト』国税庁。2024年9月6日閲覧。
- ^ “まるで不動産版ウィキリークス!「大島てる」の正体は?”. ASCII.jp (2010年12月21日). 2024年9月1日閲覧。
- ^ a b c 森史之助 (2012, p. 68)
- ^ a b c 古田雄介 (2010年12月21日). “まるで不動産版ウィキリークス!「大島てる」の正体は?”. ASCII.jp (東京都千代田区富士見1丁目8番19号 角川第3本社ビル: アスキー・メディアワークス) - 2020年(令和2年)11月21日閲覧
- ^ “自殺や他殺などがあった物件マップがすごい! 都内は事故物件だらけ!”. ガジェット通信 (東京都渋谷区代々木2丁目16番1号 宮坂甲斐路ビル 5階: 東京産業新聞社). (2009年9月21日) - 2020年(令和2年)11月21日閲覧
- ^ 佐藤裕一 (2009年10月25日). “不動産の事故物件情報サイト「大島てる」運営者に聞く”. My News Japan (東京都新宿区新宿1丁目9番4号) - 2020年(令和2年)11月21日閲覧
- ^ 森史之助 (2012, p. 62)
- ^ a b c 事故物件サイトを作った男の譲れない使命感 - 東洋経済オンライン
- ^ 『文藝春秋』2018年(平成30年)3月特別号「同級生交歓」
- ^ “兵庫県の斎藤元彦知事、東大時代のあだ名は「フェンディ」同級生の大島てる氏が思い出す”. デイリースポーツ. 2024年9月9日閲覧。
- ^ “「私を訴えてくる大家の方が幽霊より怖い」 東大卒・大島てるの"事故物件人生"(2017年(平成29年)9月15日 02時00分)”. AbemaTIMES (2017年9月15日). 2020年11月21日閲覧。
- ^ “大島てる 平成23年4月12日 横浜地方裁判所平成22年(ワ)第1336号損害賠償等請求事件判決確定 大島てるが勝訴しました”. 2014年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月21日閲覧。
- ^ 森史之助 (2012, p. 67)
- ^ 森史之助 (2012, pp. 68–69)
参考文献
[編集]- 森史之助『事故物件に住んでみた!』彩図社、2012年1月31日。ASIN 4883928349。ISBN 978-4-88392-834-7。OCLC 774271918。全国書誌番号:22043661。ASIN B008AGLOKQ(Kindle版)。
関連項目
[編集]- 都市再生機構 - 事故物件を特別募集住宅という名称で販売。
- 斎藤元彦 - 大島は斎藤の東大時代の同窓生で、当時の斎藤を興味深く観察していた。大島によれば、斎藤は仲間間では『FENDI』と呼ばれていたが、これは斎藤がFENDIのマフラーを夏冬問わず着用していたからで、大きなロゴがよく目立ち、長髪に日焼けした肌でニカッと笑うと白い歯が覗き、一昔前のホストっぽく「チャラめ」な印象であったなどと証言している(『週刊文春』2024年8月1日号「兵庫県知事斎藤元彦はなぜ辞めないのか?」)。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 事故物件公示サイト 大島てる 公式ブログ - Ameba Blog (2017年3月30日 21時26分00秒 - )