大岡忠俊
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大名の「大岡忠要」とは別人です。 |
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 元亀3年(1572年)[1]又は天正11年(1583年)[2] |
死没 | 慶長5年8月1日(1600年9月8日) |
別名 | 孫太郎(通称) |
戒名 | 観光浄信 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 大岡氏 |
父母 |
父:大岡忠政 母:松平康親の養女(石川康正の娘) |
兄弟 |
忠俊、忠行、忠世、忠吉、水上正光室、 中根正次室、都筑正次室 |
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大岡 忠俊(おおおか ただとし)は、安土桃山時代の武将。大岡忠右衛門忠政の嫡男。
父忠政とともに徳川家康に仕え、慶長5年8月1日(1600年9月8日)、伏見城の戦いで鳥居元忠隊に属して伏見城へ篭城し、西軍側の攻撃を受けて討ち死にした。享年28。
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