大岡川村
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おおおかがわむら 大岡川村 | |
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廃止日 | 1927年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 屏風浦村、大岡川村、日下村 → 横浜市 |
現在の自治体 | 横浜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 久良岐郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,621人 (1920年、国勢調査) |
隣接自治体 |
横浜市、橘樹郡保土ケ谷町 久良岐郡屏風浦村、日下村 鎌倉郡川上村、永野村 |
大岡川村役場 | |
所在地 | 神奈川県久良岐郡大岡川村 |
座標 | 北緯35度24分33秒 東経139度35分46秒 / 北緯35.40928度 東経139.59606度座標: 北緯35度24分33秒 東経139度35分46秒 / 北緯35.40928度 東経139.59606度 |
ウィキプロジェクト |
大岡川村(おおおかがわむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1927年(昭和2年)4月1日まで存在した神奈川県久良岐郡の村。
概要
[編集]神奈川県久良岐郡南部の村。現在の神奈川県横浜市南区西部、港南区北部にあたる。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、堀之内村、蒔田村、井土ヶ谷村、下大岡村、上大岡村、弘明寺村、永田村、引越村、中里村、別所村、最戸村、久保村が合併して成立。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 横浜市の第2次市域拡張により、北部(堀ノ内、井土ヶ谷、蒔田、弘明寺、下大岡)が横浜市に編入。
- 1927年(昭和2年)
- 1943年(昭和18年)12月1日 - 中区の寿警察署、大岡警察署管内が分区して南区を新設。旧村域が南区となる。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - 南区の港南支所管内が分区して港南区を新設。上大岡、最戸、久保が港南区になる。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、大岡川村の篤農家は「相原孫市、渡邊呼月、渋谷重次、北見大五郎」などがいた[1]。
- 企業
- 畜産
交通
[編集]鉄道路線
[編集]- 横浜電気鉄道(のちに横浜市電)
湘南電気鉄道(現京浜急行電鉄)の井土ヶ谷駅、弘明寺駅、上大岡駅、横浜市営地下鉄ブルーラインの蒔田駅、弘明寺駅、上大岡駅は、当時は未開業。
道路
[編集]- 鎌倉街道(現在の神奈川県道21号横浜鎌倉線)
現在の町名
[編集]いずれも大体の範囲。六ツ川四丁目は旧鎌倉郡永野村、汐見台には磯子区磯子町、森町も含まれる。
- 旧堀之内村:堀ノ内町、睦町(一部)
- 旧蒔田村:蒔田町、東蒔田町、花之木町、宿町、宮元町、共進町、榎町、睦町(一部)
- 旧井土ヶ谷村:井土ヶ谷上町、井土ヶ谷中町、井土ヶ谷下町
- 旧下大岡村:大岡、大橋町、中島町、通町、若宮町、上大岡西(一部)、上大岡東(一部)
- 旧上大岡村:上大岡西(一部)、上大岡東(一部)、汐見台(一部)
- 旧弘明寺村:弘明寺町、六ツ川(一丁目の一部)
- 旧永田村:永田東、永田南、永田北、永田台、永田みなみ台、永田山王台
- 旧引越村:六ツ川(一丁目の一部、二丁目、三丁目)
- 旧中里村:中里町、中里、別所中里台(一部)
- 旧別所村:別所、別所中里台(一部)
- 旧最戸村:最戸
- 旧久保村:大久保
脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』271頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月4日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 明治44年』神奈川県 上編438、444頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月24日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 明治35年』神奈川県 上編378 - 379頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月27日閲覧。
- ^ a b c 開港のひろば『横浜開港資料館館報』第29号(平成2年1月18日)、9頁。
参考文献
[編集]- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治35年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治44年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『神奈川の畜産 昭和九年三月』神奈川縣内務部、1934年。