大宅諸姉
表示
大宅 諸姉(おおやけ の もろね、生年不明 - 天平17年7月23日(745年8月24日))は、奈良時代前・中期の女官。官位は従四位上・典侍。
生涯
[編集]元正朝の養老7年(723年)正月、夫人藤原宮子ほか女王・女官の叙位の際に薩妙観とともに従五位上[1]。
聖武朝の天平8年(736年)の内侍司牒に、「従五位上典侍大宅朝臣諸姉」と署名している。
同9年(737年)2月には、改姓した河上妙観とともに 正五位下[2]。同11年(739年)正月には春日女王・小長谷女王・坂合部女王・茨田女王・陽侯女王・藤原吉日らとともに従四位下に昇叙している[3]。
その後、同15年(743年)4月、良弁の宣により金光明寺に大灌頂経1帙を貸与したとあり、この時は「大宅命婦」と記されている[4]。当時、大宅命婦所は久邇宮にあったと推察され、これらの経典を4ヶ月近く命婦所に収めたのは書写のためであったろうと思われる[5]。同16年(745年)12月、左京の人漆部連豊島を、翌17年(745年)4月、備前国の人宗我部人足を、各優婆塞として貢進している[6][7]。当時は久邇宮、紫香楽宮の寺院化が急速に進み、国分寺・国分尼寺建立で宮廷も官庁も湧き上がっていた[5]。
官歴
[編集]注記のないものは『続日本紀』による。
- 養老7年(723年)1月10:従五位上
- 天平8年(736年)見典侍(「内侍司牒」『大日本古文書』より)
- 天平9年(737年2月14日:正五位下
- 天平15年(743年)4月:見命婦(『大日本古文書』より)
- 天平11年(739年)正月20日:従四位下
- 時期不詳:従四位上
- 天平17年(745年)7月23日:卒去