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陽侯女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陽侯女王(やこじょおう/やこのおおきみ、生年不明 - 天平宝字8年(764年)?)は、奈良時代日本皇族。名は陽故とも表記される。のち臣籍降下し、氷上 陽侯(ひがみ の やこ)と称した。天武天皇の孫で、一品新田部親王の子。塩焼王の姉。藤原仲麻呂の室。官位従三位命婦

生涯

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聖武朝天平11年(739年)正月、小長谷女王坂合部女王らとともに無位から従四位下に叙爵される。

淳仁朝天平宝字5年(761年)10月には、保良宮への遷都の際の移転費用として、飛鳥田内親王粟田女王県犬養広刀自とともに稲4万束を賜わっている[1]

その後、臣籍降下したらしく、以後の記録では氷上真人を名乗り、天平宝字6年(762年)から同8年(764年)にかけて昇叙され、従三位にまで上っている。天平宝字7年(763年)正月には、王新福渤海使の、天皇への拝賀の儀式に参列したことが記録されている[2]

以上のように、淳仁天皇の後宮に出仕する高級職事であったことが推察されるが、以降の記録は存在しない。藤原仲麻呂の乱に巻き込まれ、処刑された可能性が大きい。

官歴

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続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』天平宝字5年10月11日条
  2. ^ 『続日本紀』天平宝字7年正月1日条

参考文献

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関連項目

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