大塚茂夫
大塚 茂夫[1][2][3][4][5][6][7][8](おおつか しげお[2][3][4]、1948年[2](昭和23年)[3][9]10月19日[2][9][7][8] - 2020年[10][11](令和2年))とは、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である[2][3][9][4][5][6][7]。
窯元の名称は「道祖土大塚窯」[8]。
「塚本製陶所」や[2][3][9][4][7]「合田陶器研究所」に勤務し[5][6]、「伝統的な益子焼」の作陶を続ける一方で[5] [12][13][14][15][16][17][11]、「I.E」と名付けた、陶器製の「土の家」オブジェの作品群の作陶をライフワークとしていた[4][18][19][20][21][22][23][24][7][17][25][8]。
生涯
[編集]1948年[2](昭和23年)[3][9]10月19日[2][9]、益子町に生まれる[9][4]。
1971年[2][3](昭和46年)12月[9]、塚本製陶所に入所する[2][3][9][4]。
1977年[2][3](昭和52年)[9][4]、益子町道祖土に築窯し独立する[2][9][4]。
1981年(昭和56年)に設立された「合田陶器研究所」に勤務し、同じく益子焼の陶芸家であった島岡龍太や[5][13][14][15][16]石川雅一[17]、そして和田安雄[5]たちと共に合田好道から薫陶を受けた[6]。そして糠釉や黒釉など、そして時には白磁を用いた「伝統的な益子焼」の作陶を行っていた[5][13][14][15][16][17][11]。
ところがその一方で、作陶活動の合間に豆腐やダンボールを使って「中世ロマネスク」風の建物を遊びでずっと作り続けていたところ、その様子を気に留めた人から、そんなにそういう風な建物が好きなら焼き物でやればどうだ?とアドバイスされた[4]。
こうして陶製の「土の家」オブジェの作陶を始めた[4]。そしてこの「I.E」と名付けた「土の家」が大塚茂夫のライフワークとなり、代名詞的作品となった[4] [18][19][20][21][22][23][24][7][17][25][8]。
そして「土の家」オブジェが縁となり、2018年(平成30年)に開催された栃木県益子町の町おこしアートイベント「土祭2018」の企画に参加したり[26][27]、「土の家」から発展させた「新しい形の陶製日用品」を作陶していた[28]。
2020年 [10][11](令和2年)に逝去した [10][11]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 最新現代陶芸作家事典,光芸出版 1987, p. 189.
- ^ a b c d e f g h i j k l 陶芸事典,室伏哲郎 1991, p. 405.
- ^ a b c d e f g h i とちぎの陶芸・益子,下野新聞社 1999, p. 216.
- ^ a b c d e f g h i j k l 民芸とMingei,尾久彰三 2014, p. 130-133.
- ^ a b c d e f g “大塚茂夫 和田安雄 島岡龍太 作陶三人展”. 銀座たくみ (2007年4月). 2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c d “大塚茂夫・和田安雄・石川雅一・島岡龍太 四人展”. 銀座たくみ (2010年9月). 2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “大塚茂夫 石川雅一 島岡龍太 三人展”. 銀座たくみ (2013年9月). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e “大塚茂夫 おおつか しげお|益子焼 作家一覧”. Mashiko-DB.net. 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 益子の陶芸家 平成12年,近藤京嗣 2000, p. 32.
- ^ a b c 陶庫と益子にゆかりのある人物史.pdf|陶庫 2024年11月11日閲覧。 (PDF) :「大塚茂夫(1948~2020)」の記述がある。
- ^ a b c d e _k_sakabe_ [@_k_sakabe_] (2021年4月5日). "……昨年亡くなった益子の陶工、大塚茂夫さんの刷毛目茶碗。………". Instagramより2024年11月11日閲覧。
- ^ “益子・大塚茂夫作品”. べにやニュース (2009年7月27日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b c “「大塚茂夫・島岡龍太 二人展」本日スタート!”. べにやニュース (2011年3月26日). 2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c “「大塚茂夫・島岡龍太 二人展」から その2”. べにやニュース (2011年3月28日). 2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c “「大塚茂夫・島岡龍太 二人展」から その4”. べにやニュース (2011年3月31日). 2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c “「大塚茂夫・島岡龍太 二人展」から その6”. べにやニュース (2011年4月2日). 2024年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e “「石川雅一・大塚茂夫 二人展」はじまりました!”. べにやニュース (2015年3月29日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b “今後の展示会”. べにやニュース (2012年10月14日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b “「大塚茂夫 I.E展」明日開催!”. べにやニュース (2012年11月16日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b “「大塚茂夫 I.E展」本日開催です!”. べにやニュース (2012年11月17日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b “「大塚茂夫 I.E展」その1”. べにやニュース (2012年11月18日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b “「大塚茂夫 I.E展」その2”. べにやニュース (2012年11月19日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b “「大塚茂夫 I.E展」その3”. べにやニュース (2012年11月20日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b “「大塚茂夫 I.E展」その4”. べにやニュース (2012年11月22日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ a b “東京 白い家と中目黒のHuit(ユイット)”. アトリエイリヤスロージャーナル2 (2018年4月27日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ “私の建物「三人の形」 大塚 茂夫 北條 正庸 中村 学”. 土祭2021. 2024年11月11日閲覧。
- ^ “土祭関連企画のご案内 gallery noieにて 私の建物「三人の形」が開催されます!|土祭2018 アーカイヴ”. 土祭2021 (2018年8月28日). 2024年11月11日閲覧。
- ^ “骨董王子・郷古隆洋の日用品案内。大塚茂夫の筆置き – No. 283|骨董王子・郷古隆洋の日用品案内”. & Premium (アンド プレミアム) (2020年7月29日). 2024年11月11日閲覧。
関連項目
[編集]参考資料
[編集]- 室伏哲郎『陶芸事典 Encyclopedia of ceramics』日本美術出版、1991年12月1日、405頁。 NCID BN07022313。国立国会図書館サーチ:R100000001-I01111009610068503, R100000001-I07111100593600。
- 下野新聞社 編『とちぎの陶芸・益子』下野新聞社、1999年10月10日、216頁。ISBN 9784882861096。 NCID BA44906698。国立国会図書館サーチ:R100000002-I000002841202。
- 近藤京嗣 著、近藤京嗣 編『益子の陶芸家 平成12年』近藤京嗣(自家出版)、2000年11月、32頁。真岡市立図書館 検索結果、矢板市立図書館 検索結果、大田原市立図書館 検索結果。
- 尾久彰三『民芸とMingei』株式会社晶文社、2014年11月30日、130-133頁。ISBN 9784794968616。
- :外部リンクである石川さんと大塚さんと、尾久さん|べにやニュースにて、2015年(平成27年)3月28日に「べにや民芸店」で行われた著者:尾久彰三と石川雅一、そして大塚茂夫によるギャラリートークの様子が記載されている。