大垣兵次
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大垣 平次(おおがき へいじ、1854年7月2日(安政元年6月8日[1])- 1939年(昭和14年)2月11日[1][2])は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]加賀国石川郡徳光村(石川県[2]石川郡徳光村[1]、御手洗村[3]、松任町、松任市を経て現白山市徳光町)で、豪農・大垣兵三郎の長男として生まれた[1]。農業を営む[2]。
1879年(明治12年)4月、石川県会議員に選出され、通算5期在任し、1888年(明治21年)10月まで務め[1][2][3]、同常置委員にも選ばれた[1]。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(石川県第1区、立憲改進党)では次点で落選し[1][4]、1892年(明治25年)2月の第2回総選挙(石川県第1区、中央交渉会)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。
1904年(明治37年)東京法学院大学(現中央大学)法律科を卒業した[1][2][3]。その他、加能汽船取締役[1][2][3]、東別院(真宗大谷派金沢別院)の世話役[1]などを務めた。
石川県会選挙歴
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 石川県議会史編さん委員会編『石川県議会史 第1巻』石川県議会事務局、1969年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。