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大和田正吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大和田 正吉(おおわだ しょうきち、1881年明治14年)5月[1][2] - 没年不明)は、日本実業家、福井県多額納税者[3][4]大和田銀行専務取締役[1][2][3][4][5]大和田貯蓄銀行、大和田炭鉱、東洋硫化工業各取締役[2][4][5]。敦賀築港倉庫監査役[1]。族籍は福井県平民[5]

人物

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福井県敦賀郡敦賀町(現敦賀市)出身。大和田荘七の長男[1][4][6][7]。大和田勇の養弟[3][4][6]。大和田金之助の養甥[3][6]

大阪高等商業学校卒業[2][7][8]。銀行会社の重役だった[2]。県下の金融界に重きをなした[2][7]。住所は福井県敦賀市蓬莱[2][3]、同市松島[4]、敦賀郡松原村[6]

家族・親族

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大和田家
  • 父・荘七1857年 - 1947年、福井県多額納税者[9]、大和田銀行、大和田貯蓄銀行各頭取、船舶代弁業並重要輸出入品委託売買業)[7] - 山本九郎左衛門の弟であり、先代・豊方の養子となり、1879年家督を相続し前名・亀次郎を改める[2][7]
  • 妻・タマ1891年 - ?、佐賀士族、川原義太郎の二女)[1][2]
  • 長男・1912年 - ?、大和田銀行員、資産家) - 1936年京都帝国大学経済学部卒業[4]、大和田銀行に勤務[4]。住所は敦賀市松島[4]
    • 同妻・英子(1917年 - ?、東京、川原五郎の三女)[4]
  • 二男(1917年 - ?、分家)[3]
  • 長女・雛子1911年 - ?、城戸崎益敏の妻)[2]
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』オ154-155頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第12版 上』オ173頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』福井3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月4日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第13版 上』オ173頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月4日閲覧。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第6版』を66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月16日閲覧。
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第9版』オ162頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月11日閲覧。
  7. ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 上』オ174-175頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月6日閲覧。
  8. ^ 『大阪商科大学一覧 昭和4年5月』301頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月6日閲覧。
  9. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 福井県54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月4日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 大阪商科大学編『大阪商科大学一覧 昭和4年5月』大阪商科大学、1929-1930年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。