大友親秀
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 建久6年(1195年) |
死没 | 宝治2年10月24日(1248年11月10日) |
改名 | 親直→親秀→寂秀(法名) |
別名 | 親季 |
官位 | 大炊助 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 藤原頼経 |
氏族 | 大友氏 |
父母 | 父:大友能直、母:風早禅尼 |
兄弟 | 親秀、詫摩能秀、時直、元吉有直、親直、禅能、朝直、一萬田時景(景直)、鷲尾秀直、志賀能郷、豊前能基、田原泰広、北条朝時室 |
妻 | 佐原家連娘 |
子 | 頼泰、戸次重秀、野津原能泰、狭間直重、野津頼宗、木付親重、田北親泰、親盛 |
大友 親秀(おおとも ちかひで)は、鎌倉時代前期の武士・御家人。大友氏の2代当主。
鎌倉幕府に御家人として仕え、源氏将軍が絶えた後は摂家将軍藤原頼経に仕える。嘉禎4年(1238年)には頼経の上洛に随行した。大友氏の基盤を固めるため、弟の詫摩能秀と共に協力して国政を行い、嘉禎2年(1236年)には家督を子の頼泰に譲って隠居し、次代を磐石にするなどして大友氏の基礎を固めた。宝治2年(1248年)10月24日、54歳で死去。