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大伴磐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大伴 磐
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
主君 宣化天皇
氏族 大伴氏
父母 父:大伴金村
兄弟 狭手彦糠手子、阿彼布古、
宇遅古、
長峡、活目、弟古
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大伴 磐(おおとも の いわ)は、飛鳥時代豪族大連大伴金村の子。

経歴

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宣化天皇2年(537年朝鮮半島において新羅任那を侵攻したため、宣化天皇の命をうけた父・金村は子息の磐と狭手彦とを任那救援のために派遣する。この時、磐は筑紫国に留まって、その国政を掌り、三韓(高句麗百済新羅)に対して防備を固めた。一方の狭手彦は渡海して任那を鎮め、百済を助けた[1]

継体朝において甲斐国山梨郡山前邑に移住し、子孫は大伴山前氏(大伴山前連)となったとする系図がある[2]

系譜

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  • 父:大伴金村
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:大伴長峡[2] - 子孫は大伴山前連、家内連
    • 男子:大伴活目[2]
    • 男子:大伴弟古[2] - 子孫は大伴山前連、大伴直

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』宣化天皇2年10月1日条
  2. ^ a b c d 『古屋家家譜』(『甲斐国一之宮浅間神社誌』資料編及び『各家系譜』所収)

参考文献

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